アーカイブ | 4月 2021

2021年5月2日

「さて十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(マタイ28:16-17)。
「山に登った」とあります。旧約聖書出エジプト記のシナイ山での十戒をいただいた場面を思い起こさせるところです。ここで、まことの神様だけを礼拝し、み言葉に聞き従うように命じられました。聖日を守り、神様と交わる幕屋を作るようにと命じられたのでした。エジプトからの解放は、神様を礼拝するためでした。私たちもガリラヤで山に登るとは、教会でイエス様を礼拝するということです。罪、死、サタンから解放されて、イエス様を礼拝し、礼拝したものは、イエス様からの宣教命令の従っていくこととなります。

2021年4月25日

「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」(コロサイ3:12-14)。総会を迎えるにあたって、このみ言葉が与えられました。いろいろあってもやっぱり大阪神愛教会もイエスキリストの「教会」なのだと言える総会であってほしいと誰もが願っていること思います。「人の怒りは神の義を実現しないからです」(ヤコブの手紙1:20)。

2021年4月18日

「うちの教会はアットホームな教会です」という言葉を聞くことがあります。私は、それを聞くと、さぞ楽しく、和気あいあいとしていい教会なのだろうと思ったりします。しかし、一方でそれでいいのだろうかという気持ちにもなります。自己満足になってはいないだろうかと思います。教会を維持運営するために、牧師を支えるために捧げ、役員が選ばれ、そして、皆で責任を担い、奉仕していく。組織となっていきのですから、アットホームだけでは伝道は進まないだろうと思います。

教会では、一人一人がいろいろな賜物を与えられていることに気づかされ、教会に新しい人を導き、新しい人を育て、バプテスマへと導く、そして、その人の賜物が教会の中で発揮されるようにしていきます。

また、教会は、安心して心癒やされて、元気になるところでもあります。主にある兄弟姉妹として、愛し合い、互いに仕え合うことをイエス様は望んでおられます。

大阪神愛教会は、元気いっぱいの教会と思います。アットホームな部分もありますが、そう見えない部分もあります。神の家族の一員だからと許されているようなところがあります。教会の約束にありますが、「教会の秩序を守る」こと、ハラスメントと思われるような言葉を慎むこと、これは互いに気をつけようと思います。

2021年4月11日

バプテスト教会では牧師も一人の信徒です。牧師とは、「身分」ではなく「職分」です。牧師は、召命を受け、献身しました。そして教会からの信頼を受け、教会から委託された説教と牧会、地域伝道の働きをします。信徒は、牧師と共に主体的に役割を担っていきます。一信徒ですが、牧師の重要さが認識されます。信徒の立ち方が問われることです。また、信徒にも召命があります。日常生活の中で、家庭で、職場や学校で召命を受け、献身することがあると思います。私たちは、それぞれがイエス・キリストの体である教会の一部分です。皆が一部分であることを忘れてはなりません。

2021年4月4日

バプテスト教会は、教会員一人ひとりの意見が尊重され、多様なあり方を喜びます。それだけに一致して、一つの方向に向っていくことはかなりの難しさがあります。聖霊の働きを祈り、教会員も牧師も主のみ心がなることを深く求めて生きます。信仰の成熟が求められます。