アーカイブ | 1月 2023

2023年1月29日

マタイ福音書20章1-16節でイエス様は、「天の国」をぶどう園になぞらえておられます。この「天の国」は神様を信じる人が死後に召される場所という意味と、神様を信じる人が待ち望んでいる理想的世界という二重の意味があるようです。たとえ話のぶどう園は、日々労働者を必要としています。ぶどう園の主人は夜明け前から町の広場に行き、雇われ待ちの労働者を雇います。ところが、ぶどう園の大きさに対して、労働者が足りなかったようです。その後も夕方になるまで繰り返し広場を訪れ、労働者を雇います。最終的に広場にいた、雇われ待ちの労働者を全員雇ったようです。日も暮れて、1日の仕事が終わり、給料を払う時、後に来た順に約束通りの給料を払います。その額は全員が約束通り、1日の報酬として相応しい額でした。労働の報酬は目に見える賃金だけではなく、良き職場に招かれるという喜びがあります。全員がこの喜びを受け取ったのですが、より多く感謝したのは、より多く待ち望んだ人でした。自分が選ばれたことを当然と思うと、感謝は小さくなります。「天の国」とはそういう場所であるとイエス様は言っておられます。

2023年1月22日

バビロニア帝国はメソポタミア地方を中心に広大な領土を持っていました。ダニエル書に登場するネブカドネザル2世は、自分たちの支配者であったアッシリア帝国に勝利して独立国家を樹立、荒廃していた首都バビロンを再建し、イスラエル王国などの小国、地域を併合した英雄的人物です。しかし、ダニエル書ではネブカドネザル2世が、精神的不安定さを抱えていた様子を記しています。自分の見た夢について内容を教えぬままに解釈せよ、解釈出来ない賢者は皆殺しにするという命令もその一つです。ダニエルは神様から知恵を授かり、ネブカドネザルの夢を解き明かします。しかし、ネブカドネザル王の心を動かしたのは、夢を解き明かされたからではなかったかも知れません。というのも、解き明かしが正しいかどうかは、実際に預言が起きてみないと解らないからです。ネブカドネザルが46節以下で大いに心動かされた様子なのは、彼が抱いていた言い知れぬ不安を言葉にして表現してもらったからではないでしょうか。栄枯盛衰、しかし滅びるものも一つの像、一つの世界の一部、来るべき栄光の世界の前触れとなるというダニエルの預言は、不安を抱えながらも日々国を豊かにしたいと願い働く孤独な支配者の心に希望を与えたのかも知れません。ネブカドネザル王は、ダニエルの言葉を通して、自分自身を見守っておられる、真の神様の愛のまなざしを感じたのではないでしょうか。

2023年1月15日

ユダヤ人にとって理想の指導者とされたダビデ王は、モアブ人の子孫でもあります。これは純血主義のユダヤ人にとっては好ましくない事実だったかも知れません。聖書ではしばしば純血主義を保ち、異邦人と共に生活しないようにという勧めが見受けられますが、この勧めの本質は、ユダヤ人以外は遺伝的に汚れているということではなく、異邦人が信じている宗教を、聖書の信仰に持ち込んだり、妥協したりするなということだったのでしょう。ところが、時代が降るごとに信仰の純粋さを求める情熱は、高慢な選民思想的純血主義に覆い隠されて行きました。しかし、聖書では信仰の純粋さと、人間の多様性の両方が神様の目に好ましいものであることを繰り返し教えているようです。ダビデ王は他民族の血筋による英雄であり、かつ悔い改めを含めた信仰の模範でありました。ルツ記は、ダビデの先祖にあたるモアブ人ルツとユダヤ人のナオミ、ボアズとが、信仰を通して一つの民、一つの家族となった喜びの物語です。ダビデの王国であるイスラエルもまた他民族国家でした。イエス・キリストは万人を救われるという点でダビデの再来です。

2023年1月8日

寒い冬は、温泉旅行が楽しいものです。「エマオ」という名前は旧約聖書のヘブライ語で「暖かい泉」という意味なのだそうです。マタイ8:28でイエス様ご一行が向かわれた「ガダラ」も古くからの温泉地として知られていますが、「エマオ」もまた温泉地だったのでしょう。温泉は保養地であり、人を癒す力があると昔から考えられていました。イエス様の死を経験した2人の弟子は、故郷に向かって帰っていたのかも知れませんが、あえて「エマオ」という地名をルカが記したのは、温泉で傷ついた心を癒やそうとした弟子たちの姿を描こうとしているようです。しかし、弟子たちの心を癒やしたのは温泉ではなく、イエス様の言葉でした。弟子たちは自分たちを癒やした言葉に、語りかけて下さった存在の中に、自分たちと共に生きておられる復活のイエス様の姿を見いだし、大いに癒やされ、励まされたのでした。しかし、この復活のイエス様は元気になった弟子たちのところに留まろうとはせず、道の先に行こうとされました。まだイエス様を待つ人々のところへ、イエス様は先だって進んで行って下さるのです。強いてイエス様を引き留めた弟子たちが、イエス様が生きておられることを信じた後、他の傷ついている弟子たちの所に知らせに戻ります。慰められた人は慰める力を得ます。先だって進まれるイエス様に続いて、私たちもまたイエス様の言葉によって慰め、励ます働きへと進んでいくのです。

2023年1月1日

聖書の神様はこの世界の全てを造られた創造主です。この神様が一番始めに創造されたものは「光」でした。人類の生きる地球型惑星が発生するためには、ほどよく光があたる「ハビタブルゾーン(生存居住圏)」に位置する必要があります。光は強すぎても弱すぎてもいけなくて、ほどよく、穏やかに惑星を暖める光でなければなりません。神様がこの世界に創造された「光」というのは、穏やかに照らし、命を生み出し育む光です。ヨハネ福音書1章では、この穏やかな「光」が、人の心を照らす存在であるイエス・キリストになぞらえられています。マタイ福音書11章3節、ルカ福音書7章19-20節では、イエス様のなさる事があまりにも穏やかだったので、バプテスマのヨハネが意外に思った様子が描かれています。イエス様による神様の恵みの言葉と働きは、穏やかに人の心を暖める光のようです。今年もまだ寒いとは言え、新年の春の光を迎えました。長い夜の闇は段々と短くなっていきます。今年も穏やかな春の光、イエス様の光に暖められてまいりましょう。