アーカイブ | 12月 2019

2019年12月22日

「こうしてイエス様は馬小屋の、馬ぶねでお生まれになりました、一番貧しい暗い場所でお生まれになりました…」。毎朝、この歌を公園で歌っています。神様が私たちを罪から救ってくださるために、人となってくださいました。罪とは、神様と離れてしまったことです。イエス様は私たちと神様の関係を元に戻そうと、十字架にまでお架かりになりました。歌の続きは、「今もずっとイエス様は泊まるところをお探しです、私たちもイエス様を心開いて迎えましょう」です。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:7)。神様からの大きなプレゼントのイエス様を悔い改め、感謝していただきましょう。

2019年12月15日

「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』と彼に言われた」(ヨハネ13:27)。サタンが入ったとしか表現のできないことが起こります。自己責任で終わらせることのできないことが起こります。イエス様も一緒に悩み苦しみ、その責任を負って下さるのだと思います。イエス様の十字架が見えます。それは赦しであり慰めです。そして、復活が見えます。その出来事の中に希望があると教えています。それは終わりではなく、始まりなのです。

2019年12月8日

「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」(マタイ25:32-33)「永遠の命」と「永遠の罰」とを表す右と左です。しかし、どうして自分が右側になったのか、どうして自分が左側になったのか、本人は分かりません。私たちも最後の最後まで分からないのですから、イエス様にお導きいただき、恵みを語り続けましょう。