アーカイブ | 1月 2024

2024年1月28日

冬も盛りになると、時期の内に売ってしまいたいのか、衣類の割引販売が始まります。あえて寒くなるまで我慢して、安くなったときに新しい衣類を買いそろえる人もおられるでしょうか。エフェソの信徒への手紙4章24節には、新しい服を着るように、新しい人を着る必要がある、という表現があります。「新しい」と訳されたギリシア語「カイノス」は、瞬間的な時間感覚における新しさという意味があります。時節に適う新しい服を着るように、イエス様を信じるという人生の時に相応しい人格、品性を身につけることが大事だ、と解釈することもできるでしょうか。この新しさは物質とは異なり、時間経過によって劣化しない、瞬間の連続における新しさでもあります。古い自分の罪深さに気がついたとき、新しくなり続けることができる、悔い改めの恵みの新しさです。

2024年1月21日

西暦1世紀ごろ、新約聖書の時代に地中海世界を支配したローマ帝国の地図によれば、パレスチナ(ユダヤ属州)の地域名として、中央部が「サマリア」と記載されています。北部のガリラヤから南部のユダヤ、その中心部のエルサレムへと移動する場合は、大きく迂回しない限りは、サマリアを通ることになります。ですから11節では、あえてサマリアを通ったことが強調されているようです。サマリア人はユダヤと異民族との混血の子孫とされています。サマリア人が都合良く自分たちをユダヤ人の一部と見なす一方、時に自らを異民族と見なして難を逃れようとしたことが、南部ユダヤ人側が不信感を抱く原因だったとも考えられています。サマリア人はさまざまな点で境界線上に生きる人間の姿の象徴なのかも知れません。15節では、人間がどのような境界線を引こうと、神様は人に境界線を引かず、神の恵みを喜ぶ心は、何者にも備えられていることを示しているようです。

2024年1月14日

冬の寒い空を飛ぶ鳥は、人間のように服を着てはいませんが、暖かな羽毛に包まれています。鳥に羽毛が備わっているように、神さまは人にも生きる術を備えていて下さる、とイエス様は言っておられるようです。マタイ福音書では「鳥」となっていますが、同じ内容を記しているルカ福音書12章24節では「カラス」となっています。聖書では「カラス」は宗教上、汚れた生き物と分類されていました。しかし、イエス様は、たとえ人間が汚れた存在と見なすものであっても、神さまは生きる術を備えていて下さる、と言っておられるようです。「倉に納めもしない」という表現は、税金を納めることのなぞらえかも知れません。国や社会は相互扶助を基本とし、税金によって社会福祉制度を実行します。しかし神さまは、社会制度の前に、人の心に愛の精神を備えていて下さいます。自らのみならず隣人をも暖める、愛の羽毛に多くの人々が包まれますように。

2024年1月7日

2024年は、飛行機事故、北陸地方の大地震という2つの災害によって始まりました。命を得た人々も、心に負った傷は深く、癒やされるまで時が必要となるでしょう。神様のお恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。聖書の世界であるパレスチナ地方も、日本とは異なる災害が多い地域です。現在に至るまで、さまざまな勢力が力によってこの豊かな土地を得ようとして、平和を捨て、争いを起こしてきました。エレミヤ書の時代、北から強大なバビロニア帝国がやってきて、国を滅ぼしてしまいます。しかしエレミヤ記では、国が滅ぶ根本的な原因は災害そのものではなく、社会に不正がはびこり、弱い人、貧しい人が不当に虐げられていることであると指摘します。人々が神様から隣人愛の心をいただき、互いに助け合う社会に変えられていく時、喜びに満たされる新しい命の力が、人々の心に豊かに注がれます。

2023年12月31日

仏教用語の「往生する」は、死んだ後に極楽浄土に生まれ変わることを意味する言葉です。しかし、同時に「困ってしまった」とか「諦める」という意味でも使われます。死とは先がなくなることだ、という意味で解釈され、日常の中で使われるようになったのでしょうか。「往生する」には、死んだ先にも命がある、という意味と、死んだらその先などない、という真逆の意味で使われるようです。4節のギリシア語原文は「この病は死ぬものではない」という表現です。この表現は重症でも死ぬほどのものではないから安心せよ、という意味としても、死んでも死なない、死を超えた命がある、という意味としても解釈できます。しかしイエス様は、人々が復活を信じようが信じまいが、ご自身を通して神さまに希望を抱く人に、天来の新しい命を与えて下さる方です。