アーカイブ | 12月 2017

2017年12月31日

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。」(Ⅰヨハネ3:18-19)目の前にいる兄弟を愛すること、これがヨハネ教会の掟です。神愛教会も同じです。過去の罪で苦しんでいないで、今、愛し合うことが勧められています。イエス様の十字架の愛をいただいた私たちにはできないことではないのです。2017年の終わりを迎える時、兄弟のために祈ることができるようにしていただき、いつでも神様の前に安心して立てるようにしていただいたことに感謝したいと思います。

2017年12月24日

「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」(ヨハネの手紙一2:22)

イエス様は、ベツレヘムで生まれ、ナザレでお育ちになり、ガリラヤで病をいやし、多くのみ言葉を語られました。エルサレムで十字架につけられた方は、神の御子でありました。ナザレのイエス様がメシアでありましたという信仰を聖霊によっていただきました。私の救いのために、全ての人の救いのために御子が人となられたクリスマスです。神様、ありがとうございます。

2017年12月17日

「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。」(Ⅰヨハネ2:3)神様の掟は、互いに愛し合いなさいということです。兄弟同士、互いに愛し合うことによって神様が分かります。愛は、他者のために命を捨てることです。どれだけ捨てること、手放すこと、捧げることができるか。クリスマスを迎えるとき、イエス様が私のために命を差し出して下さったことを信じ、イエス様を心にお迎えする時、神様が分かるようにさせていただけるのだと思います。祈り求め、イエス様のお力で心をかえていただきましょう。

2017年12月10日

「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。」(Ⅰヨハネ1:10)罪とは、自分が神様になることです。自分を中心にして生きようとすることです。自分の考えが正しいとし、絶対化することです。こういう人には、神の言葉はありませんと言われています。つまり、愛がないということです。厳しいことですが、人間には皆、愛などもともと持っていないのです。イエス様の愛を知って、初めて愛を知るのです。イエス様の愛をいただきましょう。求めるならばいただけるのです。

2017年12月3日

「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(Ⅱペトロ3:9)主の来臨、終末はどうなってしまったのかという中で、そうではない、と言われています。主の忍耐。主は私たちの悔い改めを待っておられるのです。感謝して、少しでも主のみ心に生きていきましょう。

2017年11月26日

「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(Ⅱペトロ3:9)このことだけは忘れないようにと言われていることです。大事なことは、神様の「時」のことです。私たちは、神様の「時」の中を生きています。私たちの目には「限り」のある時間のように見えます。しかも一度「限り」です。しかし、それはチャンスです。よい機会でもあります。神様は、限りも与えられますが、私たちに素晴らしい「神様の時」、「恵みの時」も与えてくださるのです。永遠の命につながっています。