アーカイブ | 2月 2024

2024年2月25日

聖書の舞台であるパレスチナ地方は、乾季と雨季という二つの季節があります。乾季はまったく雨が降らないので、雨雲が登場するのは晩秋から初春にかけての雨期になります。霧が出るのは、ある程度気温が暖かになった初春です。聖書では闇は人の心の罪深さや悩み、深い悲しみの状態の象徴的表現としても用いられますが、詩編18章10-12節では、生き物に命の力を与える、水をもたらす存在として用いられています。詩編18編は古代イスラエルの英雄ダビデが、彼の命を脅かす敵の手から逃れ、あるいは撃退した時に歌った歌とされています。彼は快適な都市生活、名誉ある立場から追いやられ、荒野の洞窟で長いこと身を隠し、敵国に亡命することになりました。突然の災難は未来への希望を見失わせたかも知れません。しかしこの災難によって彼は優れた活躍へと導かれて行きます。神さまは苦難の闇を、人に新しい命を与えるための、春の雨雲や霧として用いて下さる方です。

2024年2月18日

イエス様のたとえ話では、しばしば、なくしたものを見つける、という表現で救いの恵みが語られています。ルカ福音書15章1-7節では群れからはぐれた羊、8-10節では、家の中でなくした銀貨、11-32節では所在不明となった放蕩息子のたとえ話があります。失われた、という表現は本来持っていたものだった、あるべき場所からいなくなった、ということが前提となっています。神さまの恵みというのは、突如与えられたように感じられても、それぞれの人生の中に、心の内にすでに備えられているものなのだ、とイエス様は教えておられるようです。新約聖書の時代、徴税人(ちょうぜいにん)は不当な手数料を取って豊かになった人もいたので、人々から嫌われていました。しかしザアカイの問題は徴税人であることよりも、隣人から愛され、愛する人間関係が失われていたことかも知れません。この関係は、イエス様がザアカイに愛を示し、8節でザアカイ自らが貧しい人へ自分自身を献げたいという言葉によって回復しました。イエス様は人の心の内に備えられている愛を見いだし、明らかにして下さる方です。

2024年2月11日

本日は、大阪神愛教会、創立130周年記念礼拝となりました。人間の寿命を超える年齢を重ねるほどに、この教会が年を重ね、そして今もなお成長し続けていることを、教会の主である神さまに感謝申し上げます。   十三という場所に会堂を持つこの教会にとって、13の倍数である130周年を迎えたことは、とても印象深いことです。聖書では13という数字そのものに、特に強い意味はありませんが、世の中ではなんとなく13という数字は不吉だからと敬遠する人がいるそうです。しかし13という数字は、聖書で象徴的に使われる数字7と6が合わさった数字でもあります。7は神さまが世界をお作りになられた時の数字であり、神さまの完全な恵みを象徴する数字です。6はそれに満たない数字で不完全さの象徴とみなされることがあります。しかし教会は、不完全な人間が、完全な神さまの恵みによって喜びと希望が与えられる場所です。十三にある130周年のこの教会は、神さまの恵み豊かな教会としてこれからも成長し続けるのです。

2024年2月4日

新約聖書の時代の宣教者たちは、世界中のまだイエス様の福音を聞いたことが無い人々のところへ行きました。使徒言行録に記されているパウロの宣教旅行はパレスチナ地方から、スペイン、イタリア半島、ギリシア、マケドニア、現在のトルコやシリア、クレタ島など、極めて長い距離を移動しています。熱心な宣教活動のために、しばしば信仰・思想の異なる人々から迫害され、牢に捕らえられました。長い船旅、内陸の旅では、盗賊に出くわしたり、嵐で転覆しそうになったりと、度々命の危機がありました。しかしパウロは「あなたがたのために苦しむことを喜びと」していると言っています。この喜びの理由は、パウロの活動によってイエス様への信仰を持つに至ったエパフラスが、コロサイ出身の宣教師となり、まだ教会が組織されていなかった自分の故郷であるコロサイを始め、周辺の街々に教会を作る働きをしていた、ということだったのでしょう。実が豊かに実るから、畑を耕す労苦は喜びなのです。