2024年4月14日

聖書における神殿は、罪の赦し、救い、清め、日々の感謝を神さまに祈り献げるための礼拝所であり、神さまを求める人が信仰を通して神さまと出会う場所でもありました。古代社会における戦争では、敵国の大事にしている象徴的な建築物を破壊することが一般的でしたので、エルサレムにあった神殿も破壊され、再建されています。しかしイエス様は目に見える物質としての神殿はあくまで象徴に過ぎず、信仰の実態は神さまを信じる人の心にあり、信じて生きる人の存在そのものが神の神殿なのだと教えておられます(ヨハネ福音書2章19-21節など)。コリントの信徒への手紙第一6章19節では、信じる人の存在そのものが神の神殿であるのだから、汚らわしい罪に気付いているなら、悔い改めて清めていただき、神さまと人が出会うに相応しい場所を整えるように、人生を整える必要があると教えています。自分自身のためだけではありません。家族や友人たち、隣人たちもまた、神の神殿である、信じる人を通して神さまと出会い、救いへと導かれるのです。

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