アーカイブ | 5月 2022

2022年5月29日

成長すれば何倍もの実を結ぶ種。この種を、畑以外の場所にも蒔くことは、非効率に思えます。しかし、種を蒔く人は、こぼれ種のことを惜しんで種まきを止めたりしません。同じように、神様の御言葉、神様の恵みは、たとえその人が受け入れなかったとしても、どんな人にも注がれます。多くの種は実をつけませんが、より多くの種は何倍もの実をつけます。種を蒔く人は、無駄になったものを嘆くよりも、実を結んだものの大きさを喜びます。一人の罪人が悔い改めるなら、天使たちが喜びます(ルカ15:10)。神様の恵みを喜び、御言葉に導かれて成長することは、本人だけではなく、周りの人々や天使をも喜ばせ、数十、数百の喜びが実を結びます。神様は御言葉を通して、今もこの世界に恵みのたね、救いのたねを蒔き続けておられます。

2022年5月22日

たとえ応える人がわずかだとしても、神様は万人に愛を注いで下さる方です。イエス様が10人の病を癒やされた時、感謝するため戻ってきたのは1人だけでした。実利を重視する分野において、成功率10%と聞けば、失敗と見なす人が多いのではないでしょうか。しかし、聖書は戻ってこなかった9人について嘆くのではなく、たった1人が喜びにあふれて、大いに神様に感謝して戻ってきた姿に光を当てています。この1人はサマリヤ人でした。サマリヤ人はモーセ五書と呼ばれる旧約聖書の一部のみを聖典としている人々であり、民族的にはユダヤ人とその他の民族との血筋が入り交じった人々でした。ユダヤ人からするとサマリヤ人の信仰と民族性は正統性を外れた異端であり、その差別意識が両民族の対立感情を産み出していました。ところが、ユダヤ人であったイエス様に対して最も感謝し、おそらく神様の姿を見いだしていたであろう人は、この1人のサマリヤ人でした。神様の愛に応える人は、意外な場所から起こされます。

2022年5月15日

誰かと一緒に食事をすることを「共食(きょうしょく)」と言うそうです。イエス様は福音書のなかでよく「共食」をしておられます。聖餐式も共食の一種といえるでしょうか。文化人類学者のダンバー博士よれば、共食には集団の信頼関係や連帯感を強める効果があるそうです。レビ記の時代、神様へ献げる感謝の礼拝は、共食であったことが示されています。基本的には牛や羊を献げたのでしょう。大量の肉を次の日に残すなという指示を守るためには、食べきれない分を他の人々と分かち合う必要があったでしょう。誰かが神様に感謝の礼拝を献げる時は、他の人々も共に感謝の喜びに参加することが出来る、楽しいバーベキューだったのかも知れません。神様はご自分へ向けられる感謝の思いに、他の人々を招き、共に喜び、人々が仲良く楽しむ姿を喜んでくださる方です。

2022年5月8日

イエス様は、誰かを聞き従わせようとするのではなく、まず自らが聞き従うように、と教えておられます。ローマ10:17、信頼関係は自ら聞き従うことによって育まれます。

話し手の能力や情熱は重要ですが、もし相手が聞く耳を持たないなら、無理に相手を説き伏せようとせず、別の人に対して神様の恵みを語り伝えるようにと教えられています(マタイ10:14)。イエス様は相手の自由な意思を尊重される方です。

イエス様は多くの人々に向かって語りかけましたが、全員が教えを受け入れたわけではありませんでした。しかし、全員が受け入れないからといって語りかけることを諦めたりしませんでした。全体からすれば少数であっても、聞く耳のある人がいると信頼して語り続けたのです。信頼関係は相手を信頼することから始まります。