アーカイブ | 3月 2022

2022年3月27日

私たちは、侵略戦争を目の当たりにしています。日本もかつては、真珠湾を攻撃し、マレー半島に上陸した80年前、日中戦争を始めた90年前、満州国建国、もっと遡れば、日本も同じようなことを朝鮮半島でやってきました。無差別空爆をしたのは、日本が最初の国です。やり過ぎて暴走し、誰も止めることができなくなって、沖縄の人々を苦しめ、本土では都市空爆を受け、原爆を落とされ、敗戦を迎えました。今、大国が、しかも核兵器を持っている国が、兵力に格段の差があるのにもかかわらず、弱い国を戦場として、その国を武力によって自分たちの言いなりにさせようとしています。「戦場となる」とは、子どもたちが殺されていくことです。神様の正義は、弱い人や貧しくされた人々を救い出すことです。神様は、理不尽なこと、神様をないがしろにする権威主義を見過ごしにはされないと信じています。「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)。

2022年3月20日

百人隊長の部下の一人が病気になりました。イエス様に助けていただこうと来ました。そして、イエス様は、「私が行って癒してあげよう」と言われました。しかし、百人隊長は、それには及びません、ただ一言、お言葉を下さいと言いました。イエス様は、この異邦人である百人隊長の信仰を称賛されました。イエス様のお言葉が一言いただければそれで十分という信仰でした。イエス様には一人の部下の命を助けたいと願う百人隊長の中に信仰の真実をご覧になったのだと思います。

2022年3月13日

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5:17)。イエス様は、律法学者、ファリサイ人から絶えず律法の解釈を甘くすると思われていました。安息日に病人を癒やしたり、安息日に麦の穂を摘んだりすることで、そう見られたのです。どんな言葉も解釈で変わります。その時、そこに弱くされた人々があるかと、問われているのです。

2022年3月6日

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある」(マタイ4:4)。イエス様は、三つの誘惑を受けられました。パンが満たされること、神様の守りを信じて生きていくこと、全てを与えられてこの世界を変えていくこと、どれも魅力的なことばかりです。サタンの誘惑は、かなり巧妙です。しかし、イエス様は、サタンの言うとおりにはしませんでした。神様の言葉にのみ、信頼を置かれたのでした。