アーカイブ | 1月 2018

2018年1月28日

「このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。」(Ⅱヨハネ7)

ヨハネの教会の中に、イエス様が全き神であり全き人であったことを否定する人々が現れました。物質は悪であるから、神が肉をとるなどということはないのだと考えました。イエス様の救いを認めないのです。

イエス様を通して私たちは神様を知り、恵みによって私たちは救われます。イエス様の完全な愛の中を歩ませていただきましょう。

2018年1月21日

「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(Ⅰヨハネ5:4-5)イエス様が十字架で死なれ、復活されたこと、それが世に打ち勝ったと言うことです。そのことを信じる信仰によって、私たちも世に打ち勝つのです。イエス様が私たちと同じ人となられたのは、私たちも神の子としていただくためでした。イエス様の復活を信じる信仰をいただいて、この世にあって強く生きていきましょう。私たちは光の子です。

2018年1月14日

パウロは、コリントの教会の人々に、いつも神様に感謝していますと手紙に記し、「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされて」(Ⅰコリント1:5)いるからですと言います。しかし、「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました」(1:11)と書きました。コリントの教会に起こったことは、分派争いでした。「信仰や知識」によってもたらされました。パウロは、「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」と問います。霊によって信仰も知識も与えられますが、パウロは言いました。「愛がなければ無に等しい」(13:2)と。愛を求めましょう。

2018年1月7日

人は、やればできると言います。でも、やれないこともあります。それでもあきらめないで一生懸命生きる時、天の神様は私たちを喜んで下さると思います。完璧な人はいません。人にはプラスの面もマイナスの面もあります。それでもいいところを見つけて、その人を信じる時、神様はそういう私たちを喜んで下さると思います。友を赦し、友に赦されて、ごめんね、ありがとうと互いに言える時、神様は本当に喜んでくださると思います。この年、神様に少しでも喜んでいただけるように、神様を悲しませないようにして生きていきたいと思います。「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず」(Ⅰペトロ3:10)です。