アーカイブ | 2月 2020

2020年3月1日

大阪堺に岡村平兵衛さんという人がいました。彼は、1889年から14年間、千名以上のハンセン病の患者さんを救護、家に24時間風呂をつくり、体を温め、きれいにしてあげました。まだ、私立、公立の保養院、療養所ができる前です。後に彼は、家業の丁子油から大風子油を精製しました。戦後、プロミンができるまでは、これがハンセン病の薬となりました。家族には、「素手で触っても絶対にうつれへん」と何度も言っていたそうです。地元の人の通報で自宅救護ができなくなり、後に御殿場につくられた神山復生病院に自らもお遍路さんの白装束を着て、患者さんを送り届けました。平兵衛さんは、キリスト者で、堺の教会堂建築にも協力しました。

2020年2月23日

「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである(ヨハネ15:27)。」私たちの務めは、主を証しすることです。証しとは、「ナザレのイエス」が神様の子でありましたと証言することです。イエス様は、神様であられたのに。すべての罪を負われ、十字架にまでおかかりになりました。そして、復活され、今も私たちと共におられます。

2020年2月16日

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(ヨハネ15:1-2)。実は、新しい枝にしかなりません。そのために神様は、剪定されます。そして、私たちのために実がなるようにして下さるのです。日々、イエス様を主として、復活を信じ、イエス様に従っていくことです。新しい芽、新しい枝にしていただくために、不信仰の古い枝は手入れしていただきましょう。

2020年2月9日

大阪神愛教会前身の浪速バプテスト教会は、1903年5月12日に教会設立会議を開催し、満場異議なく教会は組織されました。そして、1909年3月4日、献堂式を行いました。「会員たちは、建気に牧師を支え、また新しい会堂のために献金した。昨年度は一人あたり6円20銭捧げた。これは特に金持ちのいないこの教会の状況を考えると非常に大きな金額である」とスコット宣教師は本国に報告しています。大島良雄先生の「バプテストの大阪地区伝道」からの言葉です。心に残る言葉の一つです。ここを読むにつけ、先輩に習い、やっぱり自分もそういう捧げる信徒になりたいと思っています。

2020年2月2日

沖縄での学び① 沖縄には「門中」という制度があります。那覇バプテスト教会の姉妹の方の家を訪問しました。旧正月ということで門中の方々が次々と集まって、そうめんを食べるとのことでした。そうめんは、「揖保の糸」でした。そこに系図があって、それは門中・一族を記したものでした。門中を整理したりするのも牧師の仕事の一つのようです。名護城の一番上に小さな祈り場があって、「・・門中以外は祈らないでください」と注意書きがありました。始祖の神様がそこにおられるようです。そしうて、普段も一緒にいるようで、沖縄の先祖崇拝は、かなりしみ込んでいると思いました。