アーカイブ | 6月 2017

2017年6月25日

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(ヘブライ12:11)

鍛錬と言う言葉は、でっち奉公、弟子見習いという意味の言葉です。私たちの生活の全てが、「修行」のようです。神様は、「ご自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです」(10)とあります。石の上にも3年と言いますが、辛抱しましょうと、忍耐しましょうとヘブライの手紙は言います。そういう意味で、ヘブライの手紙は、教会の人たちを励ますために書かれたものです。「信仰」、「希望」、「愛」が大切ですが、プラス、「忍耐」です。

「義という平和に満ちた実」とは、イエス様がいつも一緒にいてくださると言うことだと思います。イエス様が一緒だから、どんなことも乗り越えられるという、イエス様への全き信頼です。

2017年6月18日

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブライ11:13)

信仰とは、つまり神様を信じるとは、自分がこうしてほしいという望みではなく、神様がこうなさるというものをつかんで、たとえ目に見えなくてもその証拠を見ることです。そして、神様を信じるというのは、奇跡を信じるようなことでもありません。私たちを愛し、価値あるものとしてくださる神様を信じ、たとえこの地上では何もできなかった、名を残すようなこともできなかったとしても、私たちを召してくださったイエス様にすべてを委ねて最後まで生きていくことです。罪の増すところには恵みも増すのです。ですから、いよいよ復活を信じてまいりましょう。

2017年6月11日

「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」(ヘブライ10:25)

初代キリスト者は迫害の中にありました。数々の圧迫に耐えてきましたが、世の終わりがなかなか来ないことで、教会にとどまることにゆるみが出てきたのでした。そういう中で、励まし合いましょうと呼びかけています。「分かち合い」は、励まし合うことに他なりません。時代は違っても、神以外のものに仕える誘惑にいつも私たちは晒(さら)されているのです。

ペンテコステ

「聖霊」は、神様の力、神様の息です。神様ご自身でもあります。神様が私たちに命を与え、賜物を与え、主の宣教へと押し出します。霊には、風という意味もあります。今日は、弟子たちに聖霊が降った日です。私たちにも賜物が与えられた日です。私たち一人ひとりにどんな賜物が与えられましたか。どんな神様からのプレゼントが与えられましたか。こうして、私たちは生き、この時、このところで集められていることは偶然ではなくて、神様のご計画です。愛するイエス様の十字架と復活を信じて、共にイエス様のために生きていきましょう。