アーカイブ | 12月 2022

2022年12月25日

ヨセフは神様から、生まれてくる子供は「インマヌエル」と呼ばれるようになる、という言葉を受けました。これは旧約聖書の言葉であるヘブライ語で、「神様は私達と共におられる」という意味であることは23節に記されている通りです。「インマヌエル」という言葉が聖書に初めて登場するのは、イザヤの時代です。イザヤの生きた時代は、ダビデ王朝時代の末期、貧富の差は拡大し、政府は腐敗し、争いが絶えませんでした。イザヤは「インマヌエル/神が私達と共におられる」と呼ばれる人物が現れた時、人の力によってはついに叶うことがなかった、神様の平和が実現する国が現れる、という神様の恵みの約束を語りました。その神様のお約束が、あなたの子供として来られる方を通して今実現しようとしている、という神様からのお言葉をヨセフは信じました。クリスマスはこの世界に平和を実現されるイエス様のお誕生をお祝いする日です。この世界で起きるあらゆる苦難や争いに悩む全ての人に、インマヌエルのイエス様が平和を与えて下さいますように。

2022年12月18日

新約聖書の福音書でイエスさまの誕生の次第について記しているのはマタイとルカだけです。ヨハネ福音書は誕生の次第は記しませんでしたが、誕生の動機は「神の愛」であると記しています。ヨハネ福音書3章16節で「世」と訳されたギリシア語「コスモス」は「宇宙」という意味があります。神様の愛は巨大です。しかしこの愛は「一人も滅びること」なく、「永遠の命」を得ることを望む、一人一人を愛する具体的な愛でもあります。イエス様は、山上の説教や四千人、五千人の給食の出来事のように、沢山の人々に向かって語りかけ、神様の恵みを示すこともあれば、十二弟子やマリア、マルタ、ラザロの兄弟たちと個人的な関係を持たれました。何よりも先ず、マリアとヨセフの夫婦の子どもとして生まれ育つという、家族の一員として人と関わる人生を歩まれました。宇宙全体を救いへ導く巨大な神様の愛は、家庭の中にも現れて、個人を救いへ導くものでもあります。聖書は、神様の巨大な救いのお働きが、ベツレヘムという小さな村の馬小屋から現れたと記します。小さな日常の中に、神様の大きな愛は注がれ続けて行くのです。

2022年12月11日

暗い湖の上で嵐にであった人々に、イエス様は「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とおっしゃいました。「いや、イエス様。それは怖いですよ。あとイエス様を信じるかどうかは嵐が怖いかどうかと別の話ですよ。」と弟子たちが言ったかどうかは解りません。イエス様を信頼していても、バンジージャンプや、ジェットコースターは怖いものです。マタイ8章にも同じ話がありますが、こちらは弟子たちに声をかけてから嵐をしずめています。ですから弟子たちの怖れは嵐であった、とマタイは言っているようです。それに対してマルコの場合は、嵐をしずめてから声をかけています。弟子たちの怖れは嵐よりもイエス様に向けられていた、と言っているのかも知れません。するとイエス様が問うておられる信仰とは、イエス様が神の子かどうかを信じるかではなく、従う人々を見捨てることをしない方であるという信頼について言っておられるのかも知れません。「何で怖がるのよ。あなたを見捨てたり、ひどいことをするわけないでしょう。信じてよ。」とイエス様は言っておられるのかも知れません。

2022年12月4日

イエス様を出産した時、マリアは十代だったとも言われています。加えて、マリアはヨセフと婚約していましたので、周りの人々からは不貞を疑われたでしょう。初めての出産で不安な中、周りの人々はマリアの心をかき乱したかも知れません。そんな時に、マリアは、親戚のエリサベトのところへと導かれます。エリサベトにはマリアとは異なって、高齢出産という危機がありました。しかし、エリサベトもマリアと同じく、神さまに与えられた命と信じて出産を決意しています。マリアは自分の苦しみを理解してくれる戦友を見いだしたような喜びを得たかも知れません。ルカ福音書1章46-55節は「マリアの賛歌」と呼ばれています。同じ神さまの御心を信じ、悩みに耐えて喜びを抱く人を見いだした時、マリアの口から神さまを讃える言葉があふれ出したのです。