アーカイブ | 5月 2021

2021年5月30日

「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。…彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(使徒2:8-11)。
聖霊降臨は、弟子たちだけでなくエルサレムにいた多くのユダヤの人々を世界宣教へと遣わしました。エルサレムには、エルサレムを中心にして東西南北、さまざまな国から人々が集まっており、めいめいがふるさとの言葉で福音に触れ、地元にもどり、教会を生み出していったのでした。福音の種は至る所で蒔かれました。

2021年5月23日

「大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けていた」(マルコ12:37)。人々は、律法学者たちの権威的な振る舞いや外見的な姿に本当に大切なことが何か、見えなくされていました。人の言いなりにならない、自分で考え、自分で判断することが自立することです。考えることを止めてしまったり、偏った考えを持ったり、色眼鏡をつけたような見方にならないように、イエス様の教えに耳を傾けることが大切なのだと思わされます。「よく見る、よく聞く、よく考える」。「御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし」(エフェソ2:17-18)て下さいますように。

2021年5月16日

「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。…もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」(マルコ11:2-3)。主イエス様のお言葉です。私たちの行うことが、主が必要とされていることであったら幸いなことだと思います。私の必要ではなくて、主の必要のために今日一日を生きていきたいと思います。その必要を聞き分けられるように祈りたいと思います。

2021年5月9日

「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」(マルコ10:27)。金持ちの人は、イエス様に財産を売って、私に従うようにと言われました。しかし、悲しみながら立ち去りました。それは、自分ではできないことだったからです。しかし、イエス様は、神様は何でもできると言われました。もっと神様を信頼しましょう、という招きのイエス様のお言葉です。自分の「欠け」を知らされても、イエス様のこの言葉に励まされ、イエス様と共に歩んでいきましょう。