アーカイブ | 2月 2023

2023年2月26日

新約聖書時代のガリラヤ地方は、純血のユダヤ人以外の人々が多く住んでいたので、「異邦人のガリラヤ(15節)」と呼ばれる事もありました。「異邦人」という表現には2つの意味があります。1つ目の意味は、単に外国人、という意味です。2つ目の意味は、聖書の神さまを信じていない人、という意味です。どちらも、それ自体は悪い意味ではありませんが、極端な純血主義のユダヤ人からは蔑みの言葉としても使われていたかも知れません。同じガリラヤ地方のカナという町の出身とされるナタナエル(ヨハネ21:2)は、イエス様がガリラヤ地方のナザレ出身と聞いて侮っていたようです(ヨハネ1:46)。同じガリラヤ地方の出身者ですらそうだったのです。しかし、そんなガリラヤ地方出身者として、イエス様は神さまの救いのお働きを始められました。イエス様と弟子たちは、後に、エルサレムを始め、色々な場所に行かれますが、拠点として、戻ってくる場所はガリラヤ地方だったようです。人々が期待してないところに突如として現れた神さまの働き人、救い主イエス様の存在は、闇夜の道を照らす灯火のように、人々の心を照らし、思いがけない神さまの恵みを喜んだことでしょう。神さまの救いの働きは、思いがけない時、思いがけないところに差し込む暖かな光です。

2023年2月19日

新約聖書時代のガリラヤ地方は、純血のユダヤ人以外の人々が多く住んでいたので、「異邦人のガリラヤ(15節)」と呼ばれる事もありました。「異邦人」という表現には2つの意味があります。1つ目の意味は、単に外国人、という意味です。2つ目の意味は、聖書の神さまを信じていない人、という意味です。どちらも、それ自体は悪い意味ではありませんが、極端な純血主義のユダヤ人からは蔑みの言葉としても使われていたかも知れません。同じガリラヤ地方のカナという町の出身とされるナタナエル(ヨハネ21:2)は、イエス様がガリラヤ地方のナザレ出身と聞いて侮っていたようです(ヨハネ1:46)。同じガリラヤ地方の出身者ですらそうだったのです。しかし、そんなガリラヤ地方出身者として、イエス様は神さまの救いのお働きを始められました。イエス様と弟子たちは、後に、エルサレムを始め、色々な場所に行かれますが、拠点として、戻ってくる場所はガリラヤ地方だったようです。人々が期待してないところに突如として現れた神さまの働き人、救い主イエス様の存在は、闇夜の道を照らす灯火のように、人々の心を照らし、思いがけない神さまの恵みを喜んだことでしょう。神さまの救いの働きは、思いがけない時、思いがけないところに差し込む暖かな光です。

2023年2月12日

心理学者マーティン・セリグマン博士によって提唱されている「ポジティブ心理学」は、心の健康を回復させ、保つ研究をしています。「ポジティブ心理学」において「感謝される」ことではなく、「感謝する」ことは、自分がすでに相手から何らかの利益を得ていることに気付くことであり、感謝する人自身の幸福感を高めることが知られています。しかし、「感謝する」ことは無理矢理に見つけるものではありません。テサロニケの信徒への手紙第一5章18節では、「どんなことにも感謝する」という言葉があります。「どんなことにも」と訳されたギリシア語「パス」は、「全体的なことと、個別の事柄に注目すること」と定義されています。すると、「どんなことにも感謝する」というのは、一つ一つの事柄の中に感謝することもあれば、いまいち感謝できないことや災いを被ることもある人生そのものを全体的に感謝することも出来る、ということではないでしょうか。禍福はあざなえる縄のごとし。キリスト者は、人生は色々あるけれども、やっぱり生きていて良かったと思い、命が神さまから与えられていることを、全体として感謝することが出来るのではないでしょうか。「どんなことにも感謝する」ことが出来る幸いを、神さまは備えていて下さるのです。教会にも色々なことがあります。時には腹立たしいことや悲しいこともあるでしょう。でも全てを振り返れば、やっぱり「どんなことにも感謝する」ことが出来るのではないでしょうか。教会創立記念日、おめでとうございます。

2023年2月5日

古代社会では、義務教育制度はなかったので、文字を読み書き出来る人は、ごくわずかでした。印刷技術もなかったので、人が手で書き写していました。聖書の世界では長期保存する文章の場合は羊皮紙で巻物に書かれ、メモや簡易的な書類の場合はパピルスが使われました。紙やインクの類いは、現在に比べて高価だったので、本(巻物)を所有しているのは学者か宗教者のような人々に限られていました。従って聖書の時代の人々にとって、聖書は自分で読むものではなく、祭司や牧師が読み聞かせてくれるものだったのです。ネヘミヤの時代、祖国を失ったユダヤ人たちは、国際情勢の変化によってパレスチナ地方に国を再建することが出来るようになりました。かつての繁栄した都市の姿は失われており、廃墟となった土地を再び都市へと発展させた人々の労苦は、大変なものだったでしょう。苦難の中にある彼らのよりどころは、神さまのが自分たちを守り導き、再び自分たちの国を立て直させて下さるという祝福の言葉でした。しかし、残念なことに長い苦難の生活の中で、彼らは自分たちの母国語であるヘブライ語を失ってしまったのです。そこで、祭司や学者たちは神さまの言葉である聖書を、人々が解る言葉(おそらくアラム語)に翻訳し、そしてその内容についての説明を語り伝えました。これが現在のキリスト教会における「礼拝説教」の原点とも言われています。解る言葉と解る内容で神さまの言葉が伝えられる時、人の心に神さまの恵みが伝わるのです。