2023年2月5日

古代社会では、義務教育制度はなかったので、文字を読み書き出来る人は、ごくわずかでした。印刷技術もなかったので、人が手で書き写していました。聖書の世界では長期保存する文章の場合は羊皮紙で巻物に書かれ、メモや簡易的な書類の場合はパピルスが使われました。紙やインクの類いは、現在に比べて高価だったので、本(巻物)を所有しているのは学者か宗教者のような人々に限られていました。従って聖書の時代の人々にとって、聖書は自分で読むものではなく、祭司や牧師が読み聞かせてくれるものだったのです。ネヘミヤの時代、祖国を失ったユダヤ人たちは、国際情勢の変化によってパレスチナ地方に国を再建することが出来るようになりました。かつての繁栄した都市の姿は失われており、廃墟となった土地を再び都市へと発展させた人々の労苦は、大変なものだったでしょう。苦難の中にある彼らのよりどころは、神さまのが自分たちを守り導き、再び自分たちの国を立て直させて下さるという祝福の言葉でした。しかし、残念なことに長い苦難の生活の中で、彼らは自分たちの母国語であるヘブライ語を失ってしまったのです。そこで、祭司や学者たちは神さまの言葉である聖書を、人々が解る言葉(おそらくアラム語)に翻訳し、そしてその内容についての説明を語り伝えました。これが現在のキリスト教会における「礼拝説教」の原点とも言われています。解る言葉と解る内容で神さまの言葉が伝えられる時、人の心に神さまの恵みが伝わるのです。

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