アーカイブ | 3月 2018

2018年3月25日

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3:20)イエス様は、いつでも私たちが心を開けるのを待っておられます。私たちは、この世と戦われて打ち勝たれた方をお迎えし、世に打ち勝っていかねばなりません。私たちは、私たちをイエス様の愛から引き離そうとする誘惑や悪の力と戦っていかねばならないのです。目を覚ましましょう。

2018年3月18日

「目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ」(ヨハネ黙示録3:2-3)。イエス様こそが神様です、私の主ですとの信仰をいただきました。自分自身を神としたり、他の空しいもの、永遠でないものを神としたりするサタンの働きは今も続いています。目を覚まして、祈りましょう。今週は、受難週です。悔い改め、祈り込み、十字架を見つめて歩んでいきましょう。

2018年3月11日

この世界には素晴らしいもの、有用なものがたくさんあります。それらはみな神様がお与えになったものです。それらを通して、私たちはもっと神様を愛するようになりたいと思います。しかし、人間は、「滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです」(ローマ1:23)。そして、造り主の代わりにそれらを拝み、仕えたのでした。神様を一番にしましょう。後のものは、みな加えられる「もの」なのですから。(マタイ6:33)

2018年3月4日

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」(黙示録2:4)ヨハネは、啓示を受けて、エフェソの教会にイエス様の言葉を伝えました。「初めの頃の愛」とは、イエス様と出会い、救いをいただき、心熱くされた時と言うこともできます。私たちもイエス様の愛から離れることのないように互いに祈り合い、与えられた証を語り合い、励まし合いましょう。兄弟が離れてしまわぬように。