アーカイブ | 8月 2021

2021年8月29日

アテネでの宣教は、パウロが思っていたような成果がありませんでした。意気消沈したパウロは、コリントへ移りました。コリントでは、ローマから逃れてきたアキラとプリスキラという夫婦に出会いました。また、天幕張りの仕事を通してたくさんの人々と出会い、支えられたことでしょう。しばらくして、シラスとテモテもやってきました。パウロは、大胆に「十字架のイエス」を証ししました。アテネでのような「雄弁な説教を語る」方法はやめました。主の「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒言行録18:9-10)の声がパウロを更に励ましました。

2021年8月22日

「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」(使徒言行録17:21)とあります。何ともったいない時の過ごし方かと思います。こういう人々にパウロは、アレオパゴスの真ん中で語りました。しかし、「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」(17:32)とあります。真面目に聞こうとしない人にいくら一生懸命語ってもそれは無理なことです。福音の言葉を安売りする必要はありません。パウロは、立ち去りました(17:33)。

2021年8月15日

今日は、敗戦の日です。半藤一利さんの「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校の反省会議」という本があります。国力20倍の国と戦争するなどということはできないと分かっていたのに日本は戦争を始めました。国家的な誤った判断を何度も重ねて、もう後戻りができなくなってしまったのが「昭和史」であったと半藤さんは言っています。陸軍が悪い、東条が悪いという単純な話ではないことが分かりました。無謀なことと分かっていながら、戦争開始を決定し、それに万歳万歳と喜んだ大勢の人々がいたのでした。教会もそれに対し、何も言いませんでした。

2021年8月8日

半藤一利さんは、中学2年生の時、3月10日の東京大空襲の炎に前も後ろも挟まれ、橋から中川に飛び込みました。船のおじさんに救い上げてもらいました。そして、自分も流れている人の救出に当たりましたが、肩をとられ、川の中に引き込まれてしまいました。夜間、水面の方向が分からず、水を2回飲んでしまい、もう終わりかと思った時、脱げた長靴がユラユラと浮き上がって行くのを見て、その方向に泳ぎ、水面に顔を出すことが出来ました。そして、別の船に助けられ、岸に上がり、ガタガタ震えていると、おじさんが履き物をくれました。あんなひどい状況にもかかわらず、親切な大人がたくさんいました。と書いています。そして、これからの生涯、二度と「絶対」という言葉は使わない、絶対に人を殺さない、絶対に自分の家は焼けない、絶対に日本は勝つ、川で溺れかけたとき、確かに私の手は誰かの手を振りほどいてしまったのですから、と。「どうしてこんなことが」という炎が燃え続けた90年の生涯でした。