アーカイブ | 2月 2021

2021年2月28日

最初のバプテスト教会は、約400年前、亡命先のオランダのアムステルダムでジョンスマイスによって生まれました。英国国教会から完全に決別することを目指した分離派と呼ばれています。イギリスでは、教会と教会が一体となり、誕生すると幼児洗礼が授けられ、居住地の教会に登録されました。その社会秩序を破壊すると見られた分離派には厳しい迫害が加えられました。自分たちで聖書を読んで、初代教会の姿にならって、真のキリストの教会を建てようと志したのでした。スマイスは、自分で頭から水をかぶり、バプテスマを施しました。そして、仲間にバプテスマを授け、バプテスト教会が生まれました。バプテスト教会員は、自分で聖書を読み、交わりの中でキリストの体の一部となって共に働き、教会を建て上げていくことを求めていきます。

2021年2月21日

大阪伝道は、1888年、タムソン宣教師によって始められました。翌年には、堂島川田蓑橋下(今の中之島、関西電力本社のあるあたり)で大阪バプテスト最初のバプテスマ式が行われました。多くの人が橋の上から見ていたそうです。バプテスマを受けた一人は、後に横浜バプテスト神学校で学び、牧師となりました。その翌年、南部バプテストのマッコーラム宣教師が大阪に来て定住し、大阪伝道を始めました。北部バプテストと南部バプテストの間で話し合いがなされました。北部バプテストは神戸で、南部バプテストは大阪で伝道することとなりました。タムソン宣教師が忙しすぎたことが理由だったようです。大阪伝道は南部バプテストが受け持つこととなりました。マッコーラム宣教師は、教会形成を粉川町に、後に知られる東教会をつくりました。しかし、半年ほどで、南部バプテストは九州に宣教地を移し、大阪伝道はアメリカバプテスト宣教師団(ABMU)の神戸拠点の伝道地となりました。タムソン宣教師は、マッコーラム宣教師がいなくなってしまったことをとても残念に思ったようです。そして、与えられた宣教師が、神戸で英語夜学校を助けていたワインド先生でした。タムソン宣教師は43年間、大阪、沖縄、瀬戸内海で働かれました。

2021年2月14日

大阪伝道は、1888(明治21)年にタムソン宣教師によって開始されました。当時の伝道拠点は、リース宣教師のいる神戸でしたが、タムソン宣教師は、毎週大阪に通い、英語を教えながら伝道しました。その後、聖公会の宣教師だったワインド宣教師が1892年6月、バプテスト派の宣教師となり、8月にはスコット宣教師が、他女性宣教師が数名で伝道を始めました。当時はすでに他の教派の宣教師が伝道を始めていました。大阪の町の生活は、300年前の秀吉の時代のようだったそうです。しかし、近代化に向って大阪は進展し、伝道も進んでいくだろうと大いに期待していました。川勝鉄弥牧師が大阪に来て、ワインド宣教師らを助けました。

2021年2月7日

私たちはさまざまな困難や誘惑、試練にとり囲まれたままになることがあるでしょう。真実な神は、耐えられない試練に遭わせません。試練に耐えられるように逃れる道を備えてくださるのです。イエス・キリストは、十字架で殺され、復活されました。そうして、私たちに、逃れる道を御国に向かって開いて下さいました。

私たちは、信仰の歩みの中で本当に辛い時があったのですが、何とか耐えられてきたのではないでしょうか。逃れの道も抜け出る道も、その時その時に与えられてきたはずです。だから、これからも大丈夫です。真実な神様を信頼して、この一週もまた、それぞれ遣わされている場において、信仰の道を歩んでまいりたいと心から願いたいと思います。