アーカイブ | 2月 2022

2022年2月27日

バプテスマのヨハネは、荒れ野で「「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と宣べ伝えました。「そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた」(5-6)とあります。生き方を変えようと願った人々が大勢いました。悔い改めるとは、180度の転換です。価値観、行い、自分の存在の意味が変えられると言うことです。悔い改めにふさわしい実を結ぶようにと、ヨハネは勧めました。そういう時にイエス様も人々の列に加わってくださり、一緒にバプテスマを受けられたのです。私たちが悔い改めの確かな実を結ぶためには、イエス様がそうして下さる必要がありました。救いはイエス様が私たちのところに来て下さったことで成るのです。

2022年2月20日

「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」(ヨハネ黙示録1:3)。ヨハネ黙示録の前文に、この手紙を読み、聞く人々の幸いが語られています。ヨハネ教会の人々が置かれている状況は大変厳しいものでした。迫害、弾圧の現実を前にして、もう終わりだと思ってしまうこともあったと思います。ある主の日、ヨハネは礼拝していました。ヨハネは霊に満たされ、主と出会わされました。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」(17-18節)と言われる方から、新しい使命をいただきました。私たちにも礼拝を通して新しい使命をお与えになります。

2022年2月13日

教会の斜め前にお住いでした渚喜代司さんが1月29日、土曜日に召されました。83歳でした。葬儀は、十三駅近くのセレモニーホールで行われました。渚さんとは10年のお交わりをいただきました。毎朝、公園でお会いしていました。音楽集会やクリスマス礼拝など何度も足を運んでいただきました。自分はお寺の檀家総代になっているのですが、教会に行ってもいいのですかと尋ねられたことがあります。ミードの神愛幼稚園を卒園されました。その時の先生方のお名前も覚えておられる方でした。母の日礼拝に毎年講壇に飾られていた真っ赤な大きなバラは、渚さんが用意くださっていたものです。笑顔の絶えない、優しい方でした。「信仰こそ旅路を導く杖」(讃美歌270)によって生きた方でした。

2022年2月6日

「裁き」という言葉があります。神様は、正しい裁きをされると私たちは信じています。それは、貧しい人や弱い立場にある人々の人権が守られ、正義が行われるという意味です。神様が正しく裁かれます。それは、逆に富んだ者や強い者、悪を行う者が罰せられ、罰を受けるという意味ではありません。神様のお考えは、私たちがおもうようなものではないです。ヨハネ8章のイエス様は、私もあなたを罪に定めない、つまり裁かないと言われました。イエス様が問題にされていたことは、律法を重んじると言いながら、他の人の罪を告発し、自分の罪は見逃すという生き方です。イエス様は、「うわべだけで裁くのはやめなさい」と言われました。イエス様は、私たちが罪の中にいることをよしとはされません。どの立場にあっても私たちは罪人なのです。罪を二度と繰り返さないようにと言われるイエス様のお心を知りたいと思います。