キリスト教について

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」—  マタイ福音書

イエス様は言われました。「誰でも私のもとに」と。イエス様は、みんなを招いておられます。生きている限り、疲れます。しかも今の時代は、疲れ過ぎています。心を壊してまで生きなければならない時代です。 人間関係にも疲れ、多くの人が引きこもっています。しかし、イエス様のところに行けば、本当の安らぎをいただくことができます。そして、イエス様は、「わたしは柔和にゅうわで謙遜けんそんな者だから、 わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、 あなたがたは安らぎを得られる。」と言われました。くびきとは、 2頭の牛が地を耕す時、首に負わされるものです。イエス様と一緒なら、 休みも与えられて、心地よい疲れや充実感が与えられるということでしょう。イエス様と一緒にくびきを負って生きてみませんかと、招いておられます。イエス様が私たちに生きる意味や進むべき方向を示してくださいます。そして、一緒に歩んで下さいます。教会は、みんなでイエス様を信じて、喜びいっぱいになって歩み出して行く人々の集まりです。

唯一の神様は天地万物をつくられました。太陽も月も星も神様ではありません。 全ての命は、神様によって創造されました。人間も被造物です。人間は、神様によって特別なものとして創造されました。自由意思を与えられました。しかし、人間は、その自由を正しく使うことができず、神様から離れてしまいました。 罪が入り込みました。神様のようになろうとしました。人間は、神様に対して、高ぶり、傲慢なものとなりました。神様の独り子であるイエス様がこの世に遣わされました。 人間は、イエス様を十字架に付けて殺してしまいました。 私たちの罪の身代わりとなって下さったのです。こうして、イエス様の十字架によって、全ての罪はゆるされました。イエス様を信じるものには、罪のゆるしと永遠の命が与えられるのです。 復活されたイエス様が、今も生きてお働き下さるからです。イエス・キリストの十字架と復活、そして再び来られるイエス様を信じ、 待ち望みつつ生きるのがキリスト教です。