アーカイブ | 4月 2018

2018年4月29日

「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(Ⅱテモテ3:15-16)私たちは、イエス・キリスト様を通して神様を知ることができます。そのイエス様は、神様の限りないみ言葉として、66巻の聖書の中に示されています。ですから聖書を通して、私たちは救いに導かれるのです。聖書は、たくさんの人が長い年月にわたって書き記されたのですが、それは神様が語り、御心を表して下さったからです。神様の御心が分からないと言わないで、日々聖書に親しみ、御心を尋ね求めましょう。

2018年4月22日

私たちの教会は、主日礼拝の他にも、幸いなことに聖書輪読会、求道者会、水曜集会、木曜朝の祈祷会、土曜の祈祷会があり、聖書が読まれ、分かち合い、祈りの時を持ちます。これは教会でしかできないことです。イエス様と出会うには、聖書に聞くことです。聖書の中に永遠の命があるからです。(ヨハネ5:39)そして聖霊が私たちを主イエス様に出会わせてくださいます。イエス様との強い交わりをつくってくださいます。神様が与えてくださった礼拝、その他の集会に参加し、主エス様と深い交わりを与えていただきましょう。

2018年4月15日

主イエス様は、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」(マタイ16:15他)と言われます。ペテロは答えました。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。イエス様は、それは天の父がそのことを表したのですと言われました。これは、人間の理解ではなく、ただ恵みによるのです。イエス・キリストとは、イエス様がキリストであります、という意味です。聖書は、イエス様がキリスト(メシア・救い主)であると信じるために記されています。私たちはそう信じて、救われました。

2018年4月8日

「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。」(Ⅰコリント10:14)私たちの世界は偶像であふれています。たとえばテレビのコマーシャルを見ると、それを手に入れたら幸せになれると、次々と頭に叩き込まれます。魅力あるものに見えてきます。見つめているもの、そこに心があるのです。私たちは、み言葉に目を注ぎましょう。

2018年4月1日

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」(マルコ16:6)私たちも、十字架につけられたナザレのイエスを墓の中に探すのではなく、復活されたナザレのイエスにお目にかかり、その方を主と信じ、告白し、告げ知らせていきます。愛が勝つのです。