アーカイブ | 9月 2021

2021年9月26日

「兄弟たち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです」(Ⅱテサロニケ1:3)。苦難の中にあって、イエス様が真ん中におられる教会の歩みがこういう麗しい幸いな兄弟関係をつくり出しました。それはパウロが仕える者の範を示したからでもありました。

2021年9月19日

テサロニケの教会の人々は、ひどい苦しみ中で、イエス様を信じ、喜んでパウロに倣い、イエス様に倣うものとなりました。倣うとは従うと言うことです。イエス様の後に従って、イエス様の背中を見ながらついていくという意味です。それによって近隣の教会の人々の模範となりました。

2021年9月12日

囚人としてパウロはローマへ移送されました。ローマへの航海記も多難でしたが、ローマへ到着し、裁判を待ちます。その間の2年あまり、それが宣教の絶好の機会となりました。不思議なことに自由に何の妨げもなく、パウロは宣教の務めを果たし続けます。唐突な使徒言行録の終わりですが、神様のなさることは止めることが出来ず、福音は広がり続けていきます。

2021年9月5日

そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(使徒言行録20:22-23)。ミレトスにようやくたどりついたパウロは、エフェソの教会の長老たちを呼び、告別の言葉を述べます。聖霊に導かれると言うことは、苦難を負うことでした。エフェソの教会の人々にもこれから始まる苦難の予告をしました。パウロは、苦難の向こうにある福音の希望と喜びを見ていました。