アーカイブ | 7月 2017

2017年7月30日

「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。」(ヤコブ2:1)教会に、金の指輪をはめた立派に見える人が来ます。貧しい身なりの人も来ます。ヤコブは、差別してはならないと言います。人を外見や身なりで判断して、貧しい人に対して、そこに立っていなさいとか、私の足元に座っておれ、と言う人がいたのです。神様は、あえて貧しい人を選んで、信仰を富ませたのだと言われています。人を分け隔てしない教会となるために、私たちも気を付けなければならないことがあります。イエス様が互いに愛し合いなさいと教えられましたから、人を見下すような思いに気づいたら、その場で、イエス様に赦しを求め、清めていただきましょう。

2017年7月23日

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:26-27)

この言葉は、イエス様が十字架の上から、イエス様のお母様とイエス様に愛されていた弟子の一人に語られたものです。十字架の上から、イエス様はここに新しい家族をつくって下さいました。教会が、一つの神の家族と言われるのは、イエス様が十字架の血をもって、贖われ、救われたものを集めてくださったからです。私たちがお互いを兄弟姉妹と呼べるのも、イエス様が出合わせ、関係をつくりだして下さったからです。イエス様が愛してくださいましたように、私たちも互いに愛し合いましょう。

2017年7月16日

「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(ヤコブ1:2-4)

試練・悪への誘惑は、神様から与えられるものではなく、自分自身の欲望に引かれ、そそのかされて、誘惑に陥るのです(13-14)と言われています。自分自身に原因があると言われています。厳しい言葉ですが、確かにサタンのせいばかりにしてはいられないところはあります。試練は、この上なく喜び、耐え忍ぶものと言われています。しかし、どんなに努力し、頑張っても、試練や誘惑に打ち勝つことはできないと思います。聖霊のお力によってのみ乗り越えることができるのです。ですから、ひたすら願い求めましょう(6)。

2017年7月9日

「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。」(ヘブライ13:15-16)ヘブライ人への手紙では、神を愛すること、人を愛することを「いけにえ」という言葉を使って表しています。捧げること、犠牲として捨てることです。讃美歌332「我は主のために何をすてし」と歌います。

2017年7月2日

「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」(ヘブライ12:29)。この言葉は、厳しい言葉に聞こえます。しかし、迫害と苦難のなかで忍耐している人々にとっては、慰めであり、励ましの言葉です。神様は正しいことを行ってくださいます。苦しみを与えている者には苦しみをもって報い、苦しみを受けているものには休息をもって報いてくださると、Ⅱテサロニケ1:7では言われています。イエス様は、「燃え盛る炎の中を来られる」(8)のです。主よ、すぐに来てくださいと祈る時があると思います。すべてを焼き尽くして、終わりにさせてしまうことのできるイエス様が来て、全てを元通りにしてくださいます。私たちは、そのイエス様に救われて、イエス様のみ教えに従って生きていくのです。