アーカイブ | 8月 2022

2022年8月28日

ルカ福音書14章1-6の出来事では、4節と6節、2回の沈黙が印象的に記されています。この沈黙の中には、イエス様に対する反感、社会常識や宗教的理念に対する情熱、苦しむ人への憐れみ、神の癒しへの期待など、人々の心の一様ならぬ、言葉ならぬ言葉が現れているようです。沈黙の中には敵意や悪意も潜んでいますが、好意や善意も潜んでいます。言葉によって賛同を示す味方は心強い存在です。しかし沈黙の中に行動を共にする味方も大いに喜ばしい存在です。神様は、沈黙する人々の中に、味方を備えて下さいます。

2022年8月21日

新約聖書の時代、病気や障害を受けることは、神様から罰を受けた、罪深さの証であると考える人が多くいたようです。病が重ければ重いほど、治りにくいほどに、神様の怒りがその人に注がれていると考える人もいたようです。そこでイエス様は、病や障害に苦しむ人を癒やされる時、罪が赦された、と宣言されます。この宣言は、罪深い人とされた病人本人への慰めと励ましだけではなく、身体的には健康な人々へ、どんなに罪が深いとしても神様は赦しの愛を注いで下さるという宣言でもあります。ルカ5:20でイエスさまは、病が癒やされた本人ではなく、連れてきた人々の信仰を見ておられます。周りの助けによっても、神様の赦しの愛は注がれるのです。

2022年8月14日

民数記22章の預言者バラムとロバの物語を寓話として読むと、人と人との関係でも起こりうる問題を指摘する教訓となっています。信頼関係があるはずの相手とのすれ違いが起きると、好意が悪意に取られ、忠告が生かされなくなります。思い上がりが、相手への先入観を生み出し、相手を傷つけてしまうこともあります。しかし、人の罪深さによってすれ違う人間関係の只中に、神様が介入して下さると聖書は教えています。ローマ8章26節では、聖霊が上手く言葉で伝わらない心の思いを伝えて下さり、神と人、人と人の関係をとりなして下さる、と励ましています。キリストを信じる人々の中から、この霊の恵みは広がります。

2022年8月7日

アブラム(後のアブラハム)は、故郷を離れてカナン地方へ移住してきました。アブラムを受け入れてくれたのは信仰・思想の異なる外国人であるアモリ人マムレでした。神様は信仰のある人だけではなく、信仰がない人の神様でもあります。樫の木やテレビンの木は、神様のご意志が現れる象徴的な木です。マムレの土地であるヘブロンは、後に罪赦された者の住む土地となります。樫の木の木陰を通して、おそらくマムレと彼の一族もまた、アブラムと共に神様を信じて生きる者へと変えられたのではないでしょうか。寄らば大樹の陰。神様に頼る人は確かな平安を得ます。