アーカイブ | 10月 2021

2021年10月31日

今日、10月31日は、宗教改革記念日です。1517年、ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に95箇条の提題を発表したところから始まりました。信仰のみ、聖書のみ、恵みのみという信仰の新しい立場が明確にされていきました。当時、教会は教会堂修復のために莫大な費用が必要でした。その資金集めのために罪が赦されるというお札を作りました。お金を持っている聖職者たちは、資金を出さずに、貧しい人々からお金を集めていました。それはおかしいと、質問状をルターは、発表したのでした。

2021年10月24日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)喜び、祈り、感謝、これらは教会の皆に与えられた言葉です。礼拝を皆で捧げることを喜び、互いの祈り合い、お互いに感謝し合うことです。教会がそういう教会になれるのは、皆がイエス様に結ばれているからです。キリスト・イエスにおいてのIn Christは、特にだいじな言葉です。

2021年10月17日

「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(Ⅰテサロニケ5:10)
主が十字架におかかりになったのは、主ご自身が自分を中心とすることを止めたと言うことです。主ご自分が絶対に自分を正しいとすることを止めたということです。神様の御子がそこまでして下さったのは、私たちも自分を絶対化しないで、イエス様と生きるようになるためでした。自分が正しいという考えを止める時、本当の自由が与えられるのです。主と共に生きる、主に全てをお委ねして生きることこそが私たちの幸いです。

2021年10月10日

「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです」(Ⅰテサロニケ3:8)。自分は今まで何をしてきたのだろ、みんな誰もが終わりを迎えます。これは確実なことです。本当に生きたと言えるのかと思います。そういう中で、パウロは、自分を見ないで教会の愛する兄弟姉妹を見ています。あなた方がしっかりとイエス様の上に立っているので、私は生きていると言いました。主は、そう言える人々との出会いを与えられました。

2021年10月3日

「それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(Ⅰテサロニケ2:13)。
人は神の言葉を語り、聞くことができるでしょうか。自分の言葉になってはいないかと絶えず注意しなければなりません。都合よくで聞いてはいないか。自分の信仰と行いに矛盾はないか、いつも問われます。神の言葉を語ること、聞くことは、かなり厳しいことです。しかし、そういう中で神の言葉が働くのです。神の言葉は、十字架の言葉。だから慰めと希望の言葉となります。