2021年10月17日

「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(Ⅰテサロニケ5:10)
主が十字架におかかりになったのは、主ご自身が自分を中心とすることを止めたと言うことです。主ご自分が絶対に自分を正しいとすることを止めたということです。神様の御子がそこまでして下さったのは、私たちも自分を絶対化しないで、イエス様と生きるようになるためでした。自分が正しいという考えを止める時、本当の自由が与えられるのです。主と共に生きる、主に全てをお委ねして生きることこそが私たちの幸いです。

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