信仰を持つと、周りの理解が得られないことや、続けるほど地味に消耗することが起こります。それでも真面目に、誠実に生きている人をイエスさまは「ちゃんと見ているよ」と受け止めてくださいます。がんばりが空振りだったわけじゃない、という安心を与えて下さいます。信仰の歩みの中で、正しさを守ること、奉仕を続けること、粘り強く耐えることはとても尊いことです。ただ、その一方で、気づかないうちに“愛の温度”が下がることがあります。やるべきことは増え、間違えないように気を配り、責任感で動けるようになる。でも、最初にあった素直な喜び、感謝、神への親しさ、人へのあたたかさが薄れていくこともあります。「初めの愛」は、イエスご自身への愛とも、仲間や隣人への愛とも受け取れます。家族や親しい人との関係でも、用事はこなすけれど会話が減り、気遣いが形式になってしまう、ということがあるでしょうか。頑張る人ほど、神様の愛と共にある信仰生活を、忘れないようにしよう、と聖書は教えています。