アーカイブ | 5月 2023

2023年5月28日

新約聖書のギリシア語では「50」を「ペンテコステ」と言います。そこでイースターから50日後をペンテコステ(五旬節)と言います。聖書の舞台であるイスラエル(ユダヤ)では、五旬節は収穫の時期であり、神さまに収穫を感謝する節目の祭りが行われていました。多くの人々は祭りを祝うために、神殿があった首都エルサレムに集まっていたようです。イエス様はすでに天国に行ってしまわれたので、後に残された弟子たちは、自分たちでイエス様から教えていただいた神さまの恵みを人々に伝えていかなければなりませんでした。しかし、弟子たちはイエス様のあとをついて活動してきたのです。突然イエス様という優れた指導者を失った人々は、自分たちが何をすれば良いのか解らなくなっていたのかも知れません。弟子たちが五旬祭を祝うために集まった時、他のユダヤ人たちと同じように仲間同士で集まっていました。するとそこに、突然激しい風が吹いてくるような音がしました。「~のような音」とあるように、実際には風は吹いておらず、風の音は彼らの心に聞こえた音だったのでしょう。風というのは聖書では旧約のヘブライ語では「ルアハ」新約のギリシア語では「プニューマ」という言葉で表現されます。どちらも「霊」とか「息」と言う意味があります。弟子たちの心に聞こえた「霊」の音は、彼らを奮い立たせ、神の恵みを待ち望む人々にイエス・キリストの救いを語り伝えようとする力を与えました。

2023年5月21日

キリスト教の宣教者として、広く名を知られていたパウロは、自分を「最もつまらない者」と呼びます。どれだけ人から良い評価を受けていたとしても、パウロは思い上がることが出来ませんでした。というのも、もともとパウロは、キリスト教の熱心な迫害者だったからです。しかしパウロはいつでも謙遜でいられたわけではないかも知れません。使徒言行録9:3によれば、パウロが幻の中でイエス様から直接、キリスト教の伝道者として任命されています。この神秘的な出来事は、パウロの回心に欠かせないことでした。パウロはこの経験によって、自分を使徒(エフェソ1:1)と呼びます。使徒というのは当時の教会で最高指導者たちを意味していました。第Ⅱコリント10:10によれば、「パウロは手紙では偉そう」だったようです。強い信仰の故に、パウロは思い上がりと、謙遜との間を常に揺れ動いていたのかも知れません。パウロはそんな自分に気付いていたからこそ、「最もつまらない者」と言うのでしょう。しかし、そんな弱さのある自分に対して、キリストの恵みを伝える大役が委ねられているとパウロは言います。神さまは弱さある人を用いて、力強い救いの恵みを広く人々に注いで下さる方です。

2023年5月14日

イエス様の12弟子であるヤコブとヨハネは、母と共にイエス様のところに行って、出世を願いました。息子たちが自分たちの出世を、母の口から願わせるというのは、どうにも情けない気がします。しかし、もしかすると彼らの母の方が、息子たちの出世について積極的だったのかも知れません。彼らはガリラヤ湖の漁師でした。マルコによる福音書3章17節では「雷の子」というあだ名がついており、ルカによる福音書9章54節では、イエス様を歓迎しなかった人々を見て、「彼らを滅ぼしましょうか」と行っています。気が短い、荒々しい漁師の姿が思い浮かびます。そんな兄弟を産み育てたお母さんが、気の弱いなどというわけがありますまい。二人の息子を引き摺るようにしてイエス様のところに行き、息子の出世を確約して欲しいと、はっきり願う、強く、愛に満ちた母の姿が思い浮かびます。彼女の願いはかないます。但し、神さまは彼女の予想を超える形で、息子たちを十字架の愛に生きる人として出世させました。母の願いは、今もなお十字架の救いによって輝き続けています。

2023年5月7日

イエス様がたとえで用いておられる「からし種」がどの植物のことなのかについては諸説あります。近頃は日本でも野菜として栽培されている「カラシナ」は、成長しても1mくらいの草なので、鳥がとまるには細すぎます。そこで現代ではほとんど栽培されていない「クロガラシ」だったのだろう、と考えられています。「クロガラシ」は、2mくらいまで成長し、細いながらも枝が伸びて小鳥が巣を作ることが出来そうです。枝が細かく分かれているので、小鳥にとっては外敵から身を守ってくれる木なのかも知れません。「クロガラシ」の実は、現代の「洋からし」よりも香りが高く、古代社会では胃薬、咳止め、湿布薬などとしても用いられていたようです。有益な植物ですが、現在栽培されなくなったのは、機械での収穫が困難だからなのだそうです。イエス様は人間の手作業によらなければ育てられない木に天の国をなぞらえておられるのかも知れません。天の国は機械的効率ではなく、人と人との暖かな関係の中に大きく現れていくのかも知れません。

2023年4月30日

創世記1章30節によれば、全ての動物は、草食動物であったようです。人間を含め、動物たちが肉を食べるようになったのはエデンの園を出てからになるようです。象徴的な意味として読むなら、自らの命のために、他の動物の命を得るということは、罪が世界に発生した影響である、という解釈が出来るでしょうか。神様は人間や肉食動物に、ベジタリアンになるようにとは命じてはいません。肉を食べることそのものが罪ではないのです。しかし、イザヤ書65:25では、狼と小羊が共にいることが理想の世界として描かれています。救い主の働きによって、他の命を奪うことなく生きることが出来る世界が現れることを示されているようです。