アーカイブ | 11月 2021

2021年11月28日

「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。』」(マタイ6:6)。イエス様は、偽善者のように人に見せるような祈り、異邦人のようにくどくどと祈る祈りをしないようにと教えられました。神様は、祈る前から私たちの必要をご存知だからです。だから、こう祈りなさいと教えてくださいました。その教えによって、世界の人々とつながって、祈りをすることができるようになりました。私たちが祈っている「主の祈り」です。

2021年11月21日

テサロニケの教会のある人たちは、世の終わりがすぐに来ると思って、毎日の仕事を捨て、日常から逃げてしまいました。世の終わりとは、イエス様が来られ、天上、地上、先の召された聖徒らと共にヨハネ黙示録に記されているような素晴らしい礼拝が捧げられる時です。聖書の言う世の終わりとは、希望です。まだ最後のその時は来ていませんが、私たちは毎週、その時を先取りして、喜びと感謝の礼拝を捧げています。

2021年11月14日

「わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、…あなたがたを招かれたのです。」(Ⅱテサロニケ2:14)主イエス・キリストの栄光とは、十字架の栄光です。十字架は、苦しみです。それは復活につながります。私たちはそれに与るために召されました。喜んで十字架を負わせていただきましょう。

2021年11月7日

コロナ休校の爪痕と題して、新聞が報じていました。今、学校に行けない子どもたちが増えているのだそうです。コロナになって学校は休校となりました。長くて3ヶ月続きました。学校が再開して、では、始まりと思っても、体が動かないのです。行けない理由が本人にも分からないというのです。無気力、不安によって不登校になった子どもたちが増えたとのことでした。無理して行かなくていい、逃げてもいいと言われても、その後のフォローがないのが現実です。

ある聖歌の歌詞に、「イエス様に頼りなば、憂いは消えうせ、喜びあふれん」とあります。この歌のメロディーは誰でも知っているもので、伝道集会などでよく歌われる歌と思います。頼る人が、頼る何かがない時代ほど悲惨なことはないと思いました。イエス様に委ね、生きて、召された方々に思いを寄せましょう。