アーカイブ | 8月 2018

2018年8月26日

人となられたイエス様は、キリスト(メシヤ、油注がれたもの)としての務めを果たされました。①預言者として、神様の御心を示され、教えられました。また、イエス様ご自身が神様のお言葉そのものです。聖書はイエス様を指し示しています。また、み言葉はイエス様のお言葉です。②祭司として、ご自身を捧げられることによって私たちの罪の贖いを成し遂げられました。イエス様を通して神様との交わりに入れられたので、イエス様のお名前によって祈らせていただきます。③復活によって死を滅ぼされ、永遠の真の王様となられました。サタンの力も打ち砕かれました。イエス様は、私たちをイエス様の御国へと招き入れてくださるのです。

2018年8月19日

イエス・キリストは、「まことの神であり、まことの人」です。神の子が完全に本当の人間になられました。私たちが失ってしまった本当の人間の姿を回復されるために人間となられ、罪の責任を負ってくださいました。人間に似たようなものでも、仮の姿でもなく、正真正銘の人間となり、私たちが経験するようなことを全て受けられたのです。ただ一つ違うことは、罪がなかったということです。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ4:15)ですからイエス様は、私たちのように神様に不従順ではなく、神様に造られた時のまことの人間の姿を見ることができるのです。

2018年8月12日

イエス・キリストは、「まことの神にして、まことの人」です。神様が人となられたということです。「子なる神様」と呼ばれます。ナザレのイエス様のお言葉には権威がありました。力ある不思議なみ業を行われました。人の心の奥まで見通されました。罪が全くなく、清いお方でした。そして、深い憐れみと愛と赦しに満ちておられました。イエス様は、聖霊によってお生まれになりました。ですから、イエス様は、つくり主でもいらっしゃいます。その神様である方が人間となられたのでした。神の子キリストを素晴らしい人間として思うだけでなく、神様として信じることが大切です。「ナザレのイエス」は、神様でありました、というのが、私たちの信仰なのです。

2018年8月5日

イエス様を待ち続けた人に、シメオンとアンナがいました。二人とも相当の年を重ねていました。幼子イエス様にお会いし、その瞬間に、長い人生の意味と訳を知ることができました。二人とも心満たされたのでした(ルカ2章)。限りのある中に永遠なるものが入ってきたからです。神様が私たち罪人を救おうとされて、御子を遣わされました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

私たちが人間として本当に生きる生き方、生きがいを知るためにイエス様は、お出でになられましたが、救いを完成されるために再びお出でになります。私たちは、救いの完成者であるキリストを待ち望む時の中を生きているのです。