アーカイブ | 7月 2019

2019年7月28日

ユダは、イエス様の死刑判決を知って、後悔し、銀貨を祭司長や長老たちに返しに行きました。「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言いました。彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言いました(マタイ27:4)。ユダは、お金を神殿に投げ込んで、首を吊って死んだのでした。この物語のすぐ前には、ペトロが「『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(マタイ26:75)とあります。ユダとペトロが対比されています。マタイ福音書は、ユダのようにならないようにとメッセージを送っています。「お前の問題だ」という声があふれている時代です。しかし、弱さを弱さのままで認め、受け入れ、生きていく道があります。イエス様は、命は神様のものであって、どんな失敗をしたとしても、生きることだと教えておられます。どんなに死んだ方がいいように見える場合でも、です。

2019年7月21日

イエス様は言われました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)。「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」(9)。姦淫の現場で捕らえられた女性がイエス様の前に連れて来られた物語です。年長者から順に自分の罪を思い起こし、立ち去りました、とあります。長く生きれば生きるほど、それだけ数々の罪が思い出されるものです。石など投げられません。数々の罪を赦していただかねば、天国には行けないです。イエス様の最後のお言葉は、「わたしもあなたを罪に定めない」でした。そうおっしゃって下さるイエス様に感謝して、今からでも遅くありませんから、イエス様に仕えて生きていきましょう。

2019年7月14日

律法学者は、「だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」(ヨハネ7:49)と言いました。ニコデモは、知らないのはそれこそあなた達ではないかと言いました。ニコデモはイエス様のために精一杯の反論をしました。人を裁く言葉は、自分に返ってくることを教えられます。

2019年7月7日

イエス様は、エルサレム神殿の大勢の人々の前で、立ち上がり、大きな声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7:37-38)。イエス様が神様から遣わされた救い主と信じ者は、「生きた水が川となって流れ出る」と言われました。聖霊のことです。生きた水とは、自分をも人をも生き返らす冷たい水です。体を生き返らすように、心も魂も生き返らすことができるのです。イエス様を信じることです。イエス様の罪の赦しの十字架と復活の力を信じることです。イエス様は、招いておられます。イエス様が救い主ですと信じ、告白させていただき、希望をいただきましょう。