アーカイブ | 11月 2022

2022年11月27日

本日はクリスマスの一ヶ月前の日曜日、アドベントの第一週となりました。第一のアドベントキャンドルは、「希望」を思い起こす光として灯されます。マタイによる福音書2章では、キリストに出会うために遠くの国からやってきた東方の博士たちが登場します。彼らは「マギ」と呼ばれる、天文学者だったのだろう、と考えられています。実際、イエス様のお誕生前後あたりに、彗星が見えたり、天文学的に大きな出来事があったとも言われています。同じ星を見た人はこの天文学者たち以外にもいたはずです。しかし、彼らはイスラエルに偉大な存在が生まれる知らせと信じました。同じものを見ても神様を信じる人は、信仰の目で見ます。学者たちを導いた星は、日が落ちて暗くなる中で一層輝き、ベツレヘムのイエス様へと導きます。救いは苦難という闇のなかで一層輝く希望の光です。

2022年11月20日

新約聖書の中に描かれたイエス様は、食事を共にする姿が印象的です。きっと弟子たちは、食事の席での話されたイエス様のお話を印象深く覚えていたのでしょう。 イエス様は、誰かの家に招かれて食事をする機会が多くあったようです。家に招いて食事を共にすることは、最高の親愛を示すもてなしでした。イエス様の素晴らしいところは、どんな人の招きにも応じておられたことです。律法学者のような社会的に立派とされていた人の食卓にも招かれましたし、徴税人という社会的な蔑まれていた人の食卓にも招かれました。どんな人の招きにも応えておられたイエス様は、「大酒飲みで大食漢だ」と意地汚い食いしん坊だと悪口を言われたり、ただで飲み食い出来る機会を求めて「罪人とも親しくしている」と悪口を言われたりしました。しかし、イエス様はどんな人でも愛を示され、神様の恵みを伝えました。一緒に食事をするということを通してイエス様の隣人愛は示され、孤独が慰められる時が与えられるのです。

2022年11月13日

聖書では肉食や飲酒を禁じているわけではありません。むしろ、神様の恵みであり、祝い事、祭りの際には欠かすことの出来ない喜びの象徴でした。しかし、この2つは贅沢の象徴でもあります。時々いただくならともかく、贅沢を日常にしたくない、とダニエルたちは願ったのでしょう。肉と酒ばかり毎日たらふく食べていれば内臓に負担がかかるし、贅肉もつきやすくなるでしょう。野菜ばかり食べるというのは、また極端な食生活ではあります。しかし、肉と酒ばかり食べていた人より、野菜ばかり食べていたダニエルたちの方が健康だったので、顔色が良かったのでした。しかし、顔色が良かったのは、野菜をとってビタミンを補充したからだけでなく、神様の言葉という魂のビタミンが補充されたからです。日常の付き合いや、食欲をまったくなくすことは出来ませんが、神様の言葉によって満たされ、必要に応じて欲望を節制することを知る人は、魂の健康を得るのです。

2022年11月6日

「お元気ですか」と挨拶する時は、身体的な健康と、心が活き活きとしているかどうか、という2つの状態について尋ねています。ヨハネの手紙第三2節で、「健康」と訳されたギリシア語「ヒュギアイノー」は身体的健康のことを、「恵み」と訳された「エウオドー」は心の健康のことを意味しているようです。「エウオドー」は「良い」を意味する接頭辞「エウ」と「道」を意味する「ホドス」という名詞の合成語です。「道」は人生にもなぞらえられますので、「良い道」と言う場合は「良い状態」とか「良い選択」という意味でも用いられます。身体の健康は大事なことですが、魂が良い状態であることはもっと大事です。ギリシア語では心は「カルディア」霊/精神は「プニューマ」と言います。魂と訳される「プシュケー」は内的命、人格そのものです。心が傷つき、病んでいても、魂は健全で、活き活きと生きることが出来る恵みが、イエスさまの十字架の恵みです。