アーカイブ | 5月 2020

2020年5月31日

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」(ローマ8:29-30)。聖霊のお働きは、私たちを救いに与らせ、救いの完成へと導いて下さることです。救いは、イエス様の十字架と復活によってすでに成し遂げられたことですが、私たちにもそのみ業に与らせ、イエス様に結ばれて、更にいよいよ新しくされ、イエス様のようになっていきます。もちろんまだイエス様のようになってはいませんが、イエス様に結ばれていますので、私たちの力や努力によらず、日々、新たにかえられて、イエス様の栄光に与らせていただくのです。私たちをお救いになり、御子の姿と似たものにしてくださる、この働きをしてくださるのが聖霊です。イエス様のようになるなど、罪人である私が、とんでもないことと思われますが、ペンテコステによって聖霊をいただいて、すっかり根本からかえられました。イエス様のお姿に近くなりました。それは、聖霊のお働きの中に入れていただいたからです。私たちの中に聖霊がお住いになられていることを信じ、感謝しましょう。

2020年5月24日

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。(ヨハネ14:16-17)」。

聖霊は、私たちをキリストに結ばせ、キリストを信じさせて下さる霊です。聖霊のお働きのお陰で、教会に来て、礼拝をし、聖書を学ぶとき、イエス様のこと、神様のことがよく分かってきます。そして、イエス様は、十字架のおかかりになる前に、弁護者・助け主・慰め主を送ると約束されました。それは、真理の霊です。パラクレートスという言葉です。そばにいて下さるという意味です。神様がいつも一緒にいて下さいますので、こんなに心強いことはありません。この世には、自分自身を専門家と言ってはばからない人が大勢いますが、人間の知恵は、無力です。主の前に、へりくだって、主を礼拝し、聖霊を受けさせていただきましょう。

2020年5月17日

「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい』」(使徒言行録1:3-4)。そして、イエス様は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8)と言われ、天に昇って行かれました。弟子たちは、祈り始めました。そして、ペンテコステ・聖霊降臨の日を迎えることとなります。聖霊のお働きによって、イエス様を知ることができ、イエス様を証することができます。聖霊は、神様とイエス様から出る霊です。神様とイエス様を正しく教えてくださるのです。聖霊の神様によって私たちの信仰は育てられていきます。「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです」(Ⅰコリント12:3)。

2020年5月10日

「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ20:16)。これは「ぶどう園の労働者」のたとえの最後でイエス様が言われた言葉です。朝早くから働いた人も、夕方来てほとんど何もしなかった人も同じ一日の労働賃金をいただきました。ただいた順番は、遅く来た順でしたから、早朝組は、たくさんもらえると思いました。この家の主人のやり方を見て、彼らは言いました。「まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」家の主人は言いました。「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。聖書の世界は、私たちが考える世界とは違うようです。うらやんだりねたんだりしないで、最後に来た人たちに、「よかったね」と言ってあげられるかです。イエス様には、どれだけ働いて、コストパフォーマンスを上げたかなどということは、関係のないことでした。