アーカイブ | 9月 2022

2022年9月25日

出エジプト記において、神様はモーセを神の民のリーダーとして選ばれました。しかし、モーセは自分にはそんな大きな仕事は出来ないと怖じ気づいて、何度も断ります。10節によれば、モーセは、自分は話すことが苦手だから、多くの人々に対して神様の言葉を伝え、人々の生活を良い方向へと導くことは出来ないと思っていたようです。しかし、神様はモーセに対して、あなたがいつでも話す必要は無い、話すことが得意な兄弟に仕事の一部を任せれば良い、と言いモーセを説得します。16節「神の代わり」は、何か立派な人になるというのではなく、話し手が話す内容を準備するスピーチライターのことです。リーダーシップに求められる仕事は一人が全てを担うのではなく、複数人が協力して行うことが出来ます。神様を信じて生きる人には、大きな仕事を信頼し委ねることが出来る仲間が備えられます。

2022年9月18日

ヨハネ黙示録14:2では、「何々みたいな」を意味するギリシア語「ホース」が三回使われています。この「ホース」がついていない唯一の単語が「音」です。「音」を聞いた著者は、時に、荒々しい水の流れや、雷鳴のように、時に、美しく調和した竪琴の音色のように聞こえた、と表現しています。この「音」と訳されたギリシア語「フォーネーン」は「言葉」「スピーチ」という意味でもあります。著者ヨハネは、幻の中で、天国から地上に向けて語りかけ続けている多くの魂の声を聞いた時、時に荒々しく、時に慰め深く聞こえたのでした。神様への導かれる救いの言葉は、時に厳しい罪の指摘があり、そして同じ神様の言葉が、時に心慰める、慰め深い音として、人の心に響きます。

2022年9月11日

イエス様のなさった奇跡は、その場で起きた出来事と、象徴的な教えという二重のメッセージがあります。ヨハネ福音書9章の出来事では、生まれつき目の見えない人が癒やされます。この癒やしは実際の視力だけではなく、人を愛し、救いたいと願う神様をイエスさまのお姿のなかに見いだすことが出来る、心の視力が与えられています。一方、学歴や身分にこだわった人は、奇跡を見ても神様の救いを見いだすことは出来ませんでした。見よ、この人を(エッセ・ホモ)。

2022年9月4日

新約聖書のギリシア語で「真理」と訳される「アレーセイア」は、本当のこと、という意味の他に、「正直」「高潔」と訳される場合があります。思ったことをそのまま言うのは、本当のことかも知れませんが、高潔ではないかも知れません。ヨハネ福音書16章13節の「真理の霊」は、神様とイエスさまのお言葉を人々に教え伝える存在です。ただ聞いたことを繰り返すのではなく、相手が理解出来るように語り伝えます。聖書の言葉を「悟る」時、また、聖書の言葉を教えようとする人には、真理の霊が働いて下さるのかも知れません。