アーカイブ | 10月 2019

2019年10月27日

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。』すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」神様の栄光を現わすことが私たちの生きる目的です。何か大きななことをすることではありません。一生をかけて、やり続けることです。私たちには教会が与えられています。イエス様のお体である私たちに与えられた教会を愛することです。

2019年10月20日

「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(マタイ22:14)。イエス様のお言葉です。私たちは、教会に招かれ、バプテスマを与えられ、ただただ恵みによって選ばれた者です。何の功しもないのに、です。招き、選んでくださったイエス様に感謝して、イエス様にお導きをいただき、最後までお委ねしていきましょう。

2019年10月13日

本日の修養会テーマは、「どうしてメシアはダビデの子なのか」です。わたしたちにとって救い主は、どなたですか、どういうお方ですか、というテーマです。「主は、わたしの主にお告げになった。」とダビデ自身が言っているとは、神様が、私の救い主・キリストに告げたということです。ダビデの子であるものが「私の主、私のメシア、救い主」というのはおかしくはないですか、とイエス様は言われました。ダビデにとって、私の主とお呼びする方が、私の子、子孫などというはずはないと言われています。私たちは、イエス様がキリスト様であると知っていますが、この問答がなされているときは、誰もが千年前のかつてのダビデ王朝が再興されることを悲願としていました。目の前のイエス様をキリストとは考えていませんでした。イエス様は、ダビデ王を超える方がいらっしゃるのだとお語りになったのです。しかし、聖書はダビデの子孫としてイエス様がお生まれになりましたと記しています。私たちの信仰でもあります。「御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」(ローマ1:3-4)どうしてメシアはダビデの子なのでしょうか。みんなで話し合いましょう。

2019年10月6日

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11:25)。イエス様のお言葉です。全き神様である方が、死んでも生きる、と言われました。そして死なないと言われました。病いを得、年を重ね、体は弱って死んでいくのは自然のことです。しかし、死んで終わりではありません。イエス様は、復活の命そのものであります。ナザレのイエス様を神様と信じる信仰の決断が求められています。イエス様によって神様の愛が完全に現されたことを信じて、復活の希望をいただいて生きましょう。