2026年3月8日

イエスさまは十字架の苦しみを、ただの悲しい出来事としてではなく、私たち人間を救うために必要な手段として受け入れてくださいました。けれども、イエスさまは、「今、わたしは心騒ぐ」と言われました。イエスさまは、深く心を痛められたのです。人間が苦しみの中で心を騒がせる時、イエスさまはその思いをよく分かってくださいます。しかしイエスさまは、十字架の苦しみから逃げず「わたしはまさにこの時のために来たのだ」と言われました。イエスさまは、父なる神さまのみこころに従い、十字架へ進まれたのです。十字架は、一見すると敗北のように見えます。けれど聖書は、そこに神さまの大きな愛があると教えます。罪赦され、神さまのもとに帰る道が開かれたのです。イエスさまの「この時のために来た」ということばには、私たちを救いたいという強い愛が込められています。心が騒ぐ時にも、十字架の救い主は私たちを見捨てません。私たちのために苦しみを通られた主だからこそ、弱い私たちを支え、救いへと導いてくださるのです。

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