アーカイブ | 1月 2026

2026年1月25日

このたとえ話の主人は神様に重ね合わせられています。主人は「不公平だ」という訴えに対して、約束と好意を分けています。主人は、朝から働いた人と約束した分を約束通り支払っています。全ての人に同じ額を払うのは正義というより、神様の自由なあわれみ、恵みなのです。このたとえ話は、神さまの国や神の恵みを教えています。人間は、努力した、頑張った時間、早く始めたかどうか、で価値を測り、報酬もそれに比例すべきだと思いがちです。もちろん、社会の仕組みとしてはそれが必要になるでしょう。しかし神さまが人を受け入れ、救い、祝福を与えるやり方は成績順や先着順だけで配られるものではない、ということが示されています。14節は、とくに比べる心への注意にもなっています。主人の言葉は、「あなたはすでに受け取っているのに、なぜ他人の恵みを見て心が苦しくなるのか」と問いかけています。神さまの恵みは、私たちが思う公平さを超えて、必要な人を包み、比べる心をほどき、感謝と喜びへ導いてくださるのです。

2026年1月18日

テトスは彼の故郷であった、ギリシアのクレタ島の牧師として任命され、島の人々にイエス様の救いの恵みを伝える働きをしていました。1章5節によれば、この手紙はテトスがクレタ島で牧師をしていた時に送られたもののようです。この手紙では全体的に、イエス様を信じる人々が、他の人々の評判を気にかけ、善い働きをすることを勧めています。その理由の一つには、1章12節にあるように、当時の地中海世界では「クレタ人」の評判が悪かったから、かも知れません。実際には悪い人ではなくても、荒っぽい口調の人が比較的多かったのかも知れません。3章1-2節では、国や町の決まり事を守り、他の人に対してけんか腰にならないで、どんな人にも優しくあるようにと教えています。人を見下すのではなく、「自分も助けが必要だった」と思い起こす時、赦しの愛と寛容の祈りをもって他者と関わることが出来る、イエス様の救いの実を結ぶことが出来るのだと教えられているようです。

2026年1月11日

信仰を持つと、周りの理解が得られないことや、続けるほど地味に消耗することが起こります。それでも真面目に、誠実に生きている人をイエスさまは「ちゃんと見ているよ」と受け止めてくださいます。がんばりが空振りだったわけじゃない、という安心を与えて下さいます。信仰の歩みの中で、正しさを守ること、奉仕を続けること、粘り強く耐えることはとても尊いことです。ただ、その一方で、気づかないうちに“愛の温度”が下がることがあります。やるべきことは増え、間違えないように気を配り、責任感で動けるようになる。でも、最初にあった素直な喜び、感謝、神への親しさ、人へのあたたかさが薄れていくこともあります。「初めの愛」は、イエスご自身への愛とも、仲間や隣人への愛とも受け取れます。家族や親しい人との関係でも、用事はこなすけれど会話が減り、気遣いが形式になってしまう、ということがあるでしょうか。頑張る人ほど、神様の愛と共にある信仰生活を、忘れないようにしよう、と聖書は教えています。