アーカイブ | 12月 2025

2025年12月21日

マタイによる福音書2章1-11節に記されているイエス様のお誕生の出来事、主人公は東の方から来た人々です。彼らは東の方で不思議な星を見たというので、はるか遠くのベツレヘムまでやってきました。しかし、彼らがなぜ、不思議な星によって示された「ユダヤの王を拝みに来た」のか、その理由については記されていません。ペルシアのあたりで社会的地位は高かった占星術の博士たちが、治安の悪い地域を長旅してまで会いに来たのは、何か心に満たされないものがあったり、言葉で表現しきれない苦しみからの救いを求めていたのかも知れません。彼らは旅の目的地がはっきりしないまま旅に出て、尋ねて探し、星に導かれてイエス様へとたどり着きます。そしてまだイエス様がどのような救いをもたらされる方であるのかは、はっきりとは解らないけれども、未来への救いの希望を抱いて喜びました。このクリスマスの旅は、人がイエス様へと導かれる人生の象徴でもあります。夜空に輝くものばかりではなく、人の悩みの闇の中に、イエス様の救いの希望へと導く星は、全ての人々の上に今も輝いています。

2025年12月14日

本日はイエス様のお誕生をお祝いするクリスマスの待ち望む期間、アドベントの第三日曜日です。アドベントキャンドルの三本目のろうそくは、「喜び」を象徴するともしびです。手紙の著者パウロは順境の中で語っているのではなく、囚われの身として教会に手紙を書いています。この喜びは気分の高揚や「楽しいことが起きたから」の反応ではなく、神さまが共におられることを信じる時に思い起こすことが出来る喜びです。だから状況が揺れても、喜びは消えません。続く5節で「主は近い」と語られるように、イエス様がこられるというのは未来の出来事であると同時に、今ここへと近づき続けています。この喜びは内面の感情に閉じず、優しさやゆるしとして外へにじみ出て行きます。アドベントは整えられる季節でもあります。悔い改めは暗い自己否定ではなく、イエス様の救いがすでに始まっていることへの希望の応答です。悔い改めと喜びは対立せず、同じ救いの恵みです。待ち望む者の喜びは、問題が消える前に与えられる平安を伴います。私たちは出来事の成否ではなく、来てくださるキリストの確かさに支えられて、今日を静かに喜ぶのです。

2025年12月7日

アドベントキャンドルの二本目は「平和」を象徴する灯火です。聖書で「平和」と訳される言葉「シャローム」は、戦争などの大きな争いに対する平和という意味だけではなく、人の心の「平安」という意味を含むある包括的な概念です。状況が好転したら得られる安心、問題が解決したら戻ってくる平穏、人間関係や環境がととのった時の安堵のような「世の平和」は好ましいものです。しかしイエス様が与えて下さる平和は、状況が揺れても、先が見えなくても、損失や痛みがあっても、心を騒がせるような時こそ、心の深い場所が支えられる、どんな時も与えられる平安です。イエス様がお生まれになられる次第、そしてイエス様がお生まれになられた世界は、穏やかならざるところでした。クリスマスの主であるイエス様は、揺れ動く不安定な世の中に生きる人々のところに来て下さり、苦難の中に生きるすべての人々を励まし、揺らぐことのない確かな救いの約束によって、この世の平和を超える喜びに満ちた平和を与えて下さる方です。