アーカイブ | 6月 2018

2018年6月24日

人間は、みな罪人です。神様のかたちにかたどられ、造られたのですが、与えられた自由を神様の命令を守るために用いることができませんでした。はじめの人、アダムとエバは、神様に背き、神様から離れました。へびに騙されたのでした。(創世記3章)。神様のみ言葉を疑い、神様以外のものを信頼したのです。罪とは、神様でないものを神と思い込み、結局は自分を信頼し、自分を神とすることです。へびのせいにする訳にはいきません。神様のみ言葉を第1にしなかった自分が悪いのです。「むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。」(ヤコブ1:14)

2018年6月17日

「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」(Ⅰコリント14:33)神様を中心にし、み言葉を中心にする秩序ある生き方が大切であることをこのみ言葉は教えています。なぜなら、世界は神様を中心にして造られたからです。人はそれぞれみな異なった賜物が与えられています。お互い、その違いを尊重し、その違いある賜物を出し合って、助け合っていかなければならないのです。イエス様の十字架の愛が結び合わせるのです

2018年6月10日

「神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4:24)「かたどって造られた」とは、神様との交わりが許された、ということです。素晴らしいことです。だから人は神様の呼びかけを聞いて生きていかねばなりません。神様から離れることほど悲惨なことはないのです。イエス様の愛に中で、喜びと感謝をもって、今日も主を礼拝しましょう。

2018年6月3日

私たちのことを一番よく知っておられる方は神様です。神様が私たちを造られたからです。造られたということは、私たちはその造られた創造主のものということです。ですから、私たちは、神様を礼拝し、神様のみ栄を表さねばなりません。これが私たちの生きる目的です。神様が私たちをお造りになった目的です。私たちは、本当の神様を礼拝しなかったら、神様以外のものを礼拝します。偶像礼拝です。目に見えるもの、見えないもの、欲望やお金や名誉や知識や、芸術も誤れば偶像礼拝の対象となります。自分自身を称賛することも偶像礼拝です。神様以外のものに夢中になって神様のおられるところに別のものを置いてしまうのです。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マルコ12:30)イエス様に結ばれて、喜んで神様を礼拝します。