アーカイブ | 3月 2020

2020年3月29日

「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』」(使徒言行録3:6)。私たちには金銀はありません。これはお金だけのことでなく、人がほしいと願うものを表していると思います。パウロは、それらを損失と見なすようになりました。キリストがあまりにも素晴らしいからです。素晴らしいイエス様のお名前を私たちは知りました。

2020年3月22日

イエス様は、十字架を前にして、弟子たちのために祈られました。イエス様は、この世から取り去られますが、同じように弟子たちもこの世から取り去られることではなくて、ご自身がこの世に遣わされたように、遣わされ、「真理によってささげられた者」となるようにと祈られました。世に属していない弟子たちが、この世の悪から守られるようにと、「聖なる者」となるようにと祈られました。私たちにどのようになってほしいと願っておられるのでしょう。(ヨハネ17:6-20)

2020年3月15日

イエス様の大切なお言葉、「あなたがたは地の塩である(マタイ5:13)」、「あなたがたは世の光である(マタイ5;14)」。塩も光も当り前のようにあるものですが、なくてはならないものです。しかも塩だけで何かをするというより、何かに働いて良い働きをします。光も何かを照らし出すためにあります。自分をアピールするのではありません。あなた方はそういうものですとイエス様は言われました。そういうものになりたいと思います。

2020年3月8日

1907(明治32)年、「癩予防に関する件」が公布され、ハンセン病患者は隔離収容することとなりました。初めは「浮浪」患者が対象でしたが、家にいる人も強制収容するようになりました。キリスト教会もMTLという組織を作り、国策に加担し、差別を助長しました。「これはなんともないよ、ううらないよ」と言うべきでした。信仰の反対は、恐れです。恐れてはならないのです.