2021年9月5日

そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(使徒言行録20:22-23)。ミレトスにようやくたどりついたパウロは、エフェソの教会の長老たちを呼び、告別の言葉を述べます。聖霊に導かれると言うことは、苦難を負うことでした。エフェソの教会の人々にもこれから始まる苦難の予告をしました。パウロは、苦難の向こうにある福音の希望と喜びを見ていました。

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