2024年5月5日

「一粒万倍」というのは、手元にあるわずかなもので始めたことが何倍にもふくらむ、という意味の言葉です。お米が一粒の種から豊かに実る様子に、人間の経済活動や、善行に大きな利益が得られる、という理想を重ね合わせた表現のようです。聖書の舞台となる地中海世界はお米では無く麦の文化ですが、ルカ福音書8章8節でイエス様も「一粒万倍」について教えておられます。よく耕し、手入れされている畑に蒔かれた種は、成長して豊かに実ります。しかし土地は始めから耕されているわけではありません。誰かが土を柔らかくして、根っこを抜いて、大きな石や、茨などの雑草をかたづける必要があります。またもし畑の手入れを止めてしまえば、だんだんとその土地は硬くなっていき、木が生えて、畑ではない土地になるでしょう。柔らかく神さまの言葉を受け止め、日々神さまによって罪清められると信じる人は、その人を通して神さまの赦しの愛と救いの恵みが伝わっていき、その人だけではなく周りの人々をも、互いに隣人を愛する愛によって豊かな実りある人生へと導いていくでしょう。「大声で」人と訳されたギリシア語「フォーネオー」は、「招く/呼び出す」という意味でも使われます。心の距離が遠く、受け入れられない心があろうとも、そこに柔らかく受け止め、豊かに実を結ぶ人がいると期待して、イエス様は救いの種を蒔き、神さまによって新しくされる尽きぬ命の恵み人生へと、全ての人を招いておられるのです。

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