2024年2月18日

イエス様のたとえ話では、しばしば、なくしたものを見つける、という表現で救いの恵みが語られています。ルカ福音書15章1-7節では群れからはぐれた羊、8-10節では、家の中でなくした銀貨、11-32節では所在不明となった放蕩息子のたとえ話があります。失われた、という表現は本来持っていたものだった、あるべき場所からいなくなった、ということが前提となっています。神さまの恵みというのは、突如与えられたように感じられても、それぞれの人生の中に、心の内にすでに備えられているものなのだ、とイエス様は教えておられるようです。新約聖書の時代、徴税人(ちょうぜいにん)は不当な手数料を取って豊かになった人もいたので、人々から嫌われていました。しかしザアカイの問題は徴税人であることよりも、隣人から愛され、愛する人間関係が失われていたことかも知れません。この関係は、イエス様がザアカイに愛を示し、8節でザアカイ自らが貧しい人へ自分自身を献げたいという言葉によって回復しました。イエス様は人の心の内に備えられている愛を見いだし、明らかにして下さる方です。

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