2024年1月21日

西暦1世紀ごろ、新約聖書の時代に地中海世界を支配したローマ帝国の地図によれば、パレスチナ(ユダヤ属州)の地域名として、中央部が「サマリア」と記載されています。北部のガリラヤから南部のユダヤ、その中心部のエルサレムへと移動する場合は、大きく迂回しない限りは、サマリアを通ることになります。ですから11節では、あえてサマリアを通ったことが強調されているようです。サマリア人はユダヤと異民族との混血の子孫とされています。サマリア人が都合良く自分たちをユダヤ人の一部と見なす一方、時に自らを異民族と見なして難を逃れようとしたことが、南部ユダヤ人側が不信感を抱く原因だったとも考えられています。サマリア人はさまざまな点で境界線上に生きる人間の姿の象徴なのかも知れません。15節では、人間がどのような境界線を引こうと、神様は人に境界線を引かず、神の恵みを喜ぶ心は、何者にも備えられていることを示しているようです。

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