2023年1月29日

マタイ福音書20章1-16節でイエス様は、「天の国」をぶどう園になぞらえておられます。この「天の国」は神様を信じる人が死後に召される場所という意味と、神様を信じる人が待ち望んでいる理想的世界という二重の意味があるようです。たとえ話のぶどう園は、日々労働者を必要としています。ぶどう園の主人は夜明け前から町の広場に行き、雇われ待ちの労働者を雇います。ところが、ぶどう園の大きさに対して、労働者が足りなかったようです。その後も夕方になるまで繰り返し広場を訪れ、労働者を雇います。最終的に広場にいた、雇われ待ちの労働者を全員雇ったようです。日も暮れて、1日の仕事が終わり、給料を払う時、後に来た順に約束通りの給料を払います。その額は全員が約束通り、1日の報酬として相応しい額でした。労働の報酬は目に見える賃金だけではなく、良き職場に招かれるという喜びがあります。全員がこの喜びを受け取ったのですが、より多く感謝したのは、より多く待ち望んだ人でした。自分が選ばれたことを当然と思うと、感謝は小さくなります。「天の国」とはそういう場所であるとイエス様は言っておられます。

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