2023年10月15日

マタイによる福音書5章8節は、「至福八端/真福八端」と呼ばれているお話の一部です。イエス様はこの時、短く、そして印象的な表現で神さまのお言葉を教えておられます。無理に短く話すと「尻切れとんぼ」になって大事な結論が解らなくなったりするものです。しかし、イエス様のお言葉は、短くても聞いている人々が自らその意味を考え、一人一人が自分のやり方でその教えに生きることが出来るので、十分な内容となっています。現代社会ではSNSのツイッター(現、X)が好んで使われていますが、多くの人はどんな時代でも短く、端的に言葉を聞くことを好む性質があるのかも知れません。「清い」と訳されたギリシア語「カサロス」はBDAGという辞典によれば「不道徳から自由である」という意味で使われますが、「不純物のない清潔な水」という表現でも使われます。「心の清さ」というのは、日常的な清潔さと結びついた表現であるようです。日常の生活というのはホコリがつもったり、垢が出たりするものです。人は日常的に掃除をすることで清潔さを保つことが出来ます。「心の清い」人というのも、生まれつき心が清いままであるというよりも、むしろ日々自分自身の心を掃除するような人の清潔さを表現しているのかも知れません。

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