2023年10月29日

聖書の時代、罪の悔い改めや特別な感謝をしたい時や、神殿や神の幕屋という礼拝場所での正式な礼拝では、神さまに動物の肉を献げていました。脂身は焼き尽くす献げものと呼ばれ、美味しそうな香りのする煙を天におられる神さまにお届けすることで、人の罪深さに怒る神さまをなだめる、なだめの香り、とも呼ばれました。赤身の部分は、良く血抜きした後、しっかりと焼くか、煮られました。肉は祭司が切り分け、祭司や礼拝に仕える人々、そして献げた人とその家族が分けて食べました。つまり、聖書の時代の礼拝は、焼き肉パーティーでもあったのです。古代社会にとって焼き肉はごちそうでした。ですから、礼拝で肉が献げられ、皆が分けて食べる焼き肉パーティーは、大変な喜びの時でもあったはずです。但し、この献げられた肉は、基本的に聖書の神さまを信じる人々だけに分け与えられました。少し聖餐式に似ていますね。しかしもちろん礼拝以外で焼き肉ができなかった訳ではありません。申命記12章15節では、誰でも普段の食事の中で肉を食べてもよい、と記しています。礼拝とは異なるけれども、信仰のあるなしにかかわらず、どんな人とも神さまの祝福を共に分かち合う喜びの時を持つことが大事なのだと、聖書は教えているのではないでしょうか。

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