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2018年10月7日

神様は御子イエス・キリストを私たちの救いのためにお遣わしになり、その救いが一人一人に実現させるために聖霊をお送りになりました。聖霊のお働きによって、私たちはつくりかえられ、清められ、日ごとに新しくされていきます。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」(ローマ8:29)。聖霊が私たちをイエス様に似たものとして下さるのです。ただ恵みとして、与えられることです。

2018年9月30日

聖霊は、私たちをキリストに結ばせ、キリストを信じさせてくださる神様です。聖霊のおかげで主イエス様のことがよく分かるのです。聖霊は、助け主、慰め主、私たちを神様に執り成して下さる方です。どう祈ったらいいか分からない時でさえ、聖霊が代わりに祈ってくださっています。私たちがいつの日か復活に与って、天の住まいをいただくにふさわしいものとさせていただくための保証は、聖霊をいただいていると言うことです。いつか真理の御霊である聖霊が全てを明らかにしてくださるのです。「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(Ⅰコリント13:12)のです。

2018年9月23日

聖霊とは、父なる神様、子なる神様の霊です。聖霊は、ペンテコステの日に弟子たちに下りました。それは聖霊によって救いの時が始まったことを意味しました。弟子たちがイエス様と一緒にいた時よりも、もっとイエス様は近く一緒にいてくださるようになりました。それは弟子たちだけではありません。時間と空間を超えて、誰もがいつでも自由にイエス様との交わりの中に入れられるのです。「また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)弟子たちが聖霊によってイエス様と結ばれたように、私たちも結ばれます。

2018年9月16日

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤ5:19-20)イエス様は、私の罪を赦して下さるかたです。イエス様のみわざ、お言葉が私を救ってくださいます。それだからこそ、全ての人々の救い主であると確信することができます。罪人とは、パウロのように自分のことなのだと告白し、悔い改めながら、救いを感謝して生きていきます。

2018年9月9日

 

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5:17)イエス様の罪の贖いと復活によって私たちは罪から解放され、神様の栄光をあらわすために生きることができるようになりました。

イエス様が新しく創造された者の代表となって、道を開いてくださったのです。

2018年9月2日

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ローマ3:25)罪とは、神様に聞き従わないこと、反抗すること、神様から離れていくことです。また、神様との交わりをできなくさせているものです。神様は、イエス様の十字架と復活の光でわたしの罪をくっきり示し、イエス様を通して、神様のもとへ帰れるようにしてくださいました。神様が一方的にイエス様の十字架によって、神様との和解と平和を打ち立ててくださったのです。この恵みに与って生きていく私たちです。

2018年8月26日

人となられたイエス様は、キリスト(メシヤ、油注がれたもの)としての務めを果たされました。①預言者として、神様の御心を示され、教えられました。また、イエス様ご自身が神様のお言葉そのものです。聖書はイエス様を指し示しています。また、み言葉はイエス様のお言葉です。②祭司として、ご自身を捧げられることによって私たちの罪の贖いを成し遂げられました。イエス様を通して神様との交わりに入れられたので、イエス様のお名前によって祈らせていただきます。③復活によって死を滅ぼされ、永遠の真の王様となられました。サタンの力も打ち砕かれました。イエス様は、私たちをイエス様の御国へと招き入れてくださるのです。

2018年8月19日

イエス・キリストは、「まことの神であり、まことの人」です。神の子が完全に本当の人間になられました。私たちが失ってしまった本当の人間の姿を回復されるために人間となられ、罪の責任を負ってくださいました。人間に似たようなものでも、仮の姿でもなく、正真正銘の人間となり、私たちが経験するようなことを全て受けられたのです。ただ一つ違うことは、罪がなかったということです。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ4:15)ですからイエス様は、私たちのように神様に不従順ではなく、神様に造られた時のまことの人間の姿を見ることができるのです。

2018年8月12日

イエス・キリストは、「まことの神にして、まことの人」です。神様が人となられたということです。「子なる神様」と呼ばれます。ナザレのイエス様のお言葉には権威がありました。力ある不思議なみ業を行われました。人の心の奥まで見通されました。罪が全くなく、清いお方でした。そして、深い憐れみと愛と赦しに満ちておられました。イエス様は、聖霊によってお生まれになりました。ですから、イエス様は、つくり主でもいらっしゃいます。その神様である方が人間となられたのでした。神の子キリストを素晴らしい人間として思うだけでなく、神様として信じることが大切です。「ナザレのイエス」は、神様でありました、というのが、私たちの信仰なのです。

2018年8月5日

イエス様を待ち続けた人に、シメオンとアンナがいました。二人とも相当の年を重ねていました。幼子イエス様にお会いし、その瞬間に、長い人生の意味と訳を知ることができました。二人とも心満たされたのでした(ルカ2章)。限りのある中に永遠なるものが入ってきたからです。神様が私たち罪人を救おうとされて、御子を遣わされました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

私たちが人間として本当に生きる生き方、生きがいを知るためにイエス様は、お出でになられましたが、救いを完成されるために再びお出でになります。私たちは、救いの完成者であるキリストを待ち望む時の中を生きているのです。