創造主の神様は、世界を支配されています。造られたものが自由に活動しながら、深いところで神様はみ旨のままに支配されています。ですから、偶然とか運命という言葉は、私たちはあまり使わないと思います。神様のみ手の中にありますから、どんなことの中にも神様のご計画があると信じているのです。しかし、どうしてと思うようなことが起こります。神様、おられるのならなぜと思うようなことがあります。それでも、神様のみ心を信じて、一切を委ねて、神様のご支配がなるように、祈り、平和のために働いていきましょう。ローマ8:28
アーカイブ
2018年5月13日
私たちは神様を見ることはできません。宇宙を創られた主です。「無」から「有」をお造りになられた方です。大きすぎて理解できません。その大きなお方が、私たちをも造って下さったのです。そして、イエス様をくださり、神様のもとへ行くことができるようにしてくださいました。「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」イエス様の中にあって、イエス様に出会わせていただいて、私たちはまことの神様を知るのです。
2018年5月6日
私たちは、新旧約聖書66巻を神の言葉とし、全てイエス・キリスト様を指し示していることを信じています。一つの言葉となって私たちに語り掛け、神様を表し、救いの業をなしてくださいます。私たちは、聖書を読みながら、イエス様を見出そうとします。「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解」(エフェソ3:18)するためです。そうして、神様の満ち溢れる豊かさに与らせていただきます。
2018年4月29日
「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(Ⅱテモテ3:15-16)私たちは、イエス・キリスト様を通して神様を知ることができます。そのイエス様は、神様の限りないみ言葉として、66巻の聖書の中に示されています。ですから聖書を通して、私たちは救いに導かれるのです。聖書は、たくさんの人が長い年月にわたって書き記されたのですが、それは神様が語り、御心を表して下さったからです。神様の御心が分からないと言わないで、日々聖書に親しみ、御心を尋ね求めましょう。
2018年4月22日
私たちの教会は、主日礼拝の他にも、幸いなことに聖書輪読会、求道者会、水曜集会、木曜朝の祈祷会、土曜の祈祷会があり、聖書が読まれ、分かち合い、祈りの時を持ちます。これは教会でしかできないことです。イエス様と出会うには、聖書に聞くことです。聖書の中に永遠の命があるからです。(ヨハネ5:39)そして聖霊が私たちを主イエス様に出会わせてくださいます。イエス様との強い交わりをつくってくださいます。神様が与えてくださった礼拝、その他の集会に参加し、主エス様と深い交わりを与えていただきましょう。
2018年4月15日
主イエス様は、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」(マタイ16:15他)と言われます。ペテロは答えました。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。イエス様は、それは天の父がそのことを表したのですと言われました。これは、人間の理解ではなく、ただ恵みによるのです。イエス・キリストとは、イエス様がキリストであります、という意味です。聖書は、イエス様がキリスト(メシア・救い主)であると信じるために記されています。私たちはそう信じて、救われました。
2018年4月8日
「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。」(Ⅰコリント10:14)私たちの世界は偶像であふれています。たとえばテレビのコマーシャルを見ると、それを手に入れたら幸せになれると、次々と頭に叩き込まれます。魅力あるものに見えてきます。見つめているもの、そこに心があるのです。私たちは、み言葉に目を注ぎましょう。
2018年4月1日
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」(マルコ16:6)私たちも、十字架につけられたナザレのイエスを墓の中に探すのではなく、復活されたナザレのイエスにお目にかかり、その方を主と信じ、告白し、告げ知らせていきます。愛が勝つのです。
2018年3月25日
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3:20)イエス様は、いつでも私たちが心を開けるのを待っておられます。私たちは、この世と戦われて打ち勝たれた方をお迎えし、世に打ち勝っていかねばなりません。私たちは、私たちをイエス様の愛から引き離そうとする誘惑や悪の力と戦っていかねばならないのです。目を覚ましましょう。
2018年3月18日
「目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ」(ヨハネ黙示録3:2-3)。イエス様こそが神様です、私の主ですとの信仰をいただきました。自分自身を神としたり、他の空しいもの、永遠でないものを神としたりするサタンの働きは今も続いています。目を覚まして、祈りましょう。今週は、受難週です。悔い改め、祈り込み、十字架を見つめて歩んでいきましょう。